泣くことではないかもしれない。
私は2013年からロジバンを学んできていた。が、これが面白いほど話せない。書けない。そして聞き取れず、読めない。
これだけで終わってしまうことに関して何を嘆いているのかと思われるかもしれない。
自分は創作をしたいと思っている者だから、何かを生み出していないと気が済まない。
それが今は何もする気になっていないから、そんな自分に絶望というか、悲しみというか、そういうものを抱いている。
寝てないからかもしれないし、今日はたまたまそういうことをする気になれないだけなのかもしれない。そうだったとしても、何も生み出していない自分がひどく嫌なのだ。
どうしてこうなったのか考える。私は運動がパッとしないし、勉強もそうそうできる方ではない。取り柄がなかったのである。そうなると、自分が一番偉くなったと勘違いできる空間が欲しくなる。そうしてそこに逃げる。耽る。その逃げ先が、私の場合は創作だったといえる。
どうも私は、自己承認欲求が非常に大きい割には、それを満たす手段が乏しいようだ。
無意識のうちに人の意識をこちらに向けようとして、過激な発言をしてみたりしているのかもしれない。構ってほしいのかもしれない。自分の奇特さを誇示して、それをみてもらうことで承認欲求を満たそうとしているのかもしれない。
替えが利く凡人。それが私を言い表す言葉。
どこまでいっても私は歴史には名が残らないし、誰かを感化することもできなさそうだ。
なら、生きている意味はなんだろう、となってしまう。
誰にも構われず、思い出されず。
そんな生き様に、私は価値を見出せない。
死にたいとは思わない。
せめて、何か爪痕を残していけたらいいなと思う。