ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

拝啓この手紙を読んでいるあなたはどこで何をしているのだろう

2月も中盤に差し掛かるとなんとなく「別れ」を意識した季節の予感を感じるようになる。
花粉は飛び出したし日中に厚着をしていると汗をかく日も増えた気がする。
「別れ」と呼ぶにはいささか早いが、かと言ってもう進路を決めた人々にはその2文字は常にチラついていることだろう。
かつての仲間とともに過ごした日々を振り返りながら、各位には次なるライフステージに挑んでいってもらいたい。

ガラでもないが手紙を書いておこうと思う。私に宛てたものかもしれないし、次なるライフステージに挑む諸姉諸兄に宛てたものかもしれない。
はたまた、私の後悔を綴って、手紙の体裁にした単なるポエムかもしれない。まぁ、何かしらの役に立つ文章になっていたらいいなと思う次第である。

物事は「諦め」の連続である

我々人間、生物は死を定められた生き物である。その死はいつやってくるかは分からないが確実にやってくるものである。
そんな中でみんなはきっと「何かやりたいこと」を見つけたのだと思う。そのことについては、寿ぐべきことだ。
しかし残念なことに人生は有限で、脳も有限である。何もかもを完璧にこなし完璧に身につけることなどは、不可能なのである。
こういった「諦め」というものを、身につけて行ってほしいと切に願う。

勘違いしないでほしいのは「やりたいことを見つけたけど才能がないから諦める」といったネガティブな方向の諦めではなくて「これをやるから他は諦めよう」というポジティブな諦めである。
人間誰しも「限界」はある。その限界は果たして「やりたいこと」から君を遠ざける邪魔者だろうか?そうとは限らないこともある。
「限界」を見つけたらそこからは右にも左にも道を変えることが出来る。こういうふうに「諦め」の価値観をアップデートして行ってほしいわけだ。
「私にはこれは出来なかった」という諦めももちろん存在する。けれどもそれは「他の道を探す契機」にもつながることを意識して生き続けてほしい。
何もかもがうまくいくことは稀有だ。そんな中でうまく行かなかったことや過ぎ去ったことに固執して生きていては勿体ない。
今できること、今やりたいことを基準に、人生を建てていってほしい。

この世の中、厳しいし、変動も多い中で確固たる自分を立てるのも必死な思いな人も多いだろう。
でもどうか、周りに流されず、周りに惑わされず、強い力で自分を建てて行ってほしいと思う。
取捨選択の上で「諦め」て、本当に自分の欲しいものを手に入れてほしい。そう願って止まない。

後悔は先に立たないが役に立つこともある

「あのときああすればよかった」という思いを抱くことは、人並みの人生を送っていれば誰しもが直面するネガティブな感情現象だ。
上でも述べた通り、これは固執するだけ無駄であることが多い。後悔は基本的に過去向きの感情で、過去は変えることは出来ないからだ。
だからといって「後悔のないように生きろ!」というのは土台無理な話である。人は何したったって後悔するし、それを引きずるのもまた人生の一幕にあり得るシーンだ。

後悔は失敗から生えることが多い。その失敗は、成功に至る道筋の中で現れるものだ。
だから「後悔をしている」と気づいたら、それに付随する失敗を観察して、同じ過ちを繰り返さないための指針に出来る。
私自身も後悔をなるべく少なくしているが、それでも人生で致命的な失敗を踏んだことは数えきれない。
でも今こうやって元気に生きているのは、他でもなく「後悔を役に立てようとしている」からにほかならない。

人生では全く同じシチュエーションというものはめったに降り注がない。大抵自分の年齢が変わってるし、場所も変わっているからだ。
それでも「後悔を役に立てる」のは可能だ。
似たようなシチュエーションのときに、かつて自分が踏んだ罠を意図的に避けられるか。これもそうだし、自分が踏んだ罠を再度踏んだときの心持ちを予覚できる。
後悔で落ち込むときには、ほぼ必ずと言っていいほど自分の選択を否定する感情が芽生えるものだ。その感情に決して飲まれず、これから過ごす時間を悲しみに染めてはならない。
反省会は、直ちに終わらせるべきなのである。

おわりに

私に宛てたのか誰に宛てたのか、ふんわりやんわりぼやけてしまったが、書けることは書けたと思っている。
考察が足りなくて刺さる文章を書けなかったかもしれないが刺してもしょうがないのでこんな感じで誰かの役に立てたらいいなと思っている。
別れの季節のちょっと手前に、何かしらのアドバイスが授けられたら光栄だ。

ショッキングな出来事に対する防衛術

最近訃報に接した。二人もだ。仲良くしていただけに喪失感が尋常でない。
二人のことの詳細は省くが、学生時代から懇意にしてもらっていた二人だったから、思い入れも悲しみもひとしおのものがあった。
今では去来する思い出に浸って、傷つきを癒している。
でも立ち止まってばかりでもいられない。私はなんとかして前を向き、日々のなすことをしなければならない。
皆さんにも多かれ少なかれ大なり小なり悲しい出来事はあったと思う。
これから綴ることはその悲しい出来事があまりに甚大な時、どうすればいいかを綴ったものである。
私個人が編み出したものだから、皆さんに適用できるかはわからない。
でも、深い悲しみの底にいる時、この記事が少しでも寄り添えるようになるものになることを願うばかりである。

甚大な悲しみに直面した時

心が受け入れきれないため、何かしらの防御反応が表出することがある。例えば、涙が流れる、茫然自失となる、など。
この時は心に余裕がないので、悲しみに立ち向かうことは基本できない
まずは悲しみを自覚し、その反応がおさまるまで待つしかない。
涙は流せるだけ流したらいいし、何もできないなら何もできないままでいい。
必要なのはとにかく自分の素直な心の反応に促されるままに流されることである。
「今は自分は悲しいんだ」「今の自分はつらいんだ」と自覚するのが大事である。
無理して「まだ反応がないから大丈夫」と思ってはならない。ふとした隙に、堤が蟻の穴をきっかけに決壊するように、反応が溢れてくることもある。
悲しみに直面したとき、そのとき、あなたの認識ではもう「悲しい」のであるから。

時間が経ったとき

悲しみは薄れずとも時は経つ。でも悲しみに触れ続けることによりその悲しみに少し慣れることがある。
その時には理性が働くようにもなる。その時に今後の方針をどうしていくか、将来に目を向けてみると良い。
具体的ケースでは「彼は死んだ。でも私は生きている。そうした時、私はどうすればいいか」と考える。
考えるのはまだつらいかもしれない。でも時は待ってくれない。癒しの時間を欲するあまりに、悲しみにだけ目を向けていては、人生を棒に振ってしまう可能性すらだってあるのだから。
これは残酷な宣言かもしれない。しかし人生はこれまた悲しくも有限だ。その有限の時間を、悲しみだけに染めてしまっては失った人はおろか、自分が救われない。
悲しみのあまりに理性が働かないなら、まだしばらく時間を置く必要があるだろう。

悲しみが少しでも薄れた時

悲しみは決して忘れられるものではない。でも、多くの(またはさらに途方もない)時間の果てにはその悲しみが新鮮なものでなくなるかもしれない。
その時に理性を働かせる出番がやってくる。本格的に前を向くフェイズである。
方針としては「理性でどのような将来設計を立てるか」が鍵になる。
理性で方針を立てて心をそれに追随させるという荒療治にも見えるこのやり方が、最も近道だと私は考える。
具体的には「仕事をしなくちゃいけない」「学業に邁進しなきゃいけない」というせっつきたてられる形で現実に引き戻されることが多いと思う。
その時はその要求に従ってやることをやるといい。理性で将来設計を立てられなかったら、まずは周りの社会的要求に従うのが何も考えなくて楽な場合もある。

悲しみを「置いておく」

悲しみを理性で押しとどめろ、とは書いていないことを今ここで確認されたい。
悲しみには素直に従って良いのである
悲しみに十分な時間付き合ったら、今度はその悲しみと一旦決別する必要がある。
何かのふとした拍子に思い出すかもしれないが、それはそれでいい。
「あの悲しい出来事があった」と思い出せるようになったら、それは決別である。

以上の事柄が、各位の悲しみや傷つきに少しでも癒しを与えられたら幸いである。
あなたの人生はあなたのものだ。幸の多からんことを願って、筆をおく。

精神的成長に対するハッカー的態度

問題を解くのが大好きなら自分の成長課題だって「問題」と捉えられないか?

この世界は解決を待つ魅力的な問題でいっぱいだ

いきなり「ハッカーになろう」の冒頭部分タイトルを引用してみた。
私はハッカーになりたい謂わばワナビなのだが、このように問題を解決するという営みに対しては一般人よりかは強い興味と関心を持っていると自負できる。
一つに執筆、一つに数学、一つにロジバン、一つにプログラミング、一つに語学、一つに言語学、一つに文学。挙げるとキリがない。
これらの学問及び芸術は、形式的な側面は多いものの、概ね「問題を解決する」ことで技術や心得を会得できるものだと思っている。
なれば、自身の成長課題についてもこの様なアプローチをすることは、前進に資するのではないかと考えた次第である。
以下は一般論にしようとしたが失敗したので、私の精神的課題に焦点を当てて話を進めたい。

自律ないしは自立

私は自分で言うのも恥ずかしいが「自立」「自律」できていないきらいがある。
ある友人の曰く「他人から要請されるものを自分がしたいものだと置き換えて取り組んできた過去がある」と指摘された。
期待される自分に、自分がなりたいものを牽強付会して、それを自己実現と錯覚してきたのが、私であるとのこと。
そうした結果、自分では「自分のなりたいもの」「自分の欲しいもの」をあたかも「自分で選び取ってきた」かの様に振る舞ってきた。 これは言ってしまえば欺瞞である。
そのような今までの自分を一旦認めて、これからは「本当に自分の欲するもの」に耳を傾け、自立していく必要がある。
この問題の解決方法は、一つは「自分の求めるもの」は本当に自分が求めているものなのかを疑う必要があると感じた。
「人に期待される自分」を欲していたのが今までの私だった。これからは、人に期待されなくても「本当に自分の望むもの」を追い求めていきたいと考える。
思い返せば、やりたいと願ったのに諦めたことは結構あるんじゃないかと人生を振り返って思う。
これからはそういった「やりたかったこと」を反省し、自分の求める自分像を探していく旅に出たいと考える。

過去の断ち切り

人には取り返しのつかない選択のせいで失ったものは山ほどあると思う。一つに進路だったり、恋愛だったり、仕事だったり。
その過去に、私は引きずられがちだった。ひたすら内側を向き、過去を見て、取り返せないものを嘆く時間が多かった。
これからは、そんな過去を「過去の箱」に仕舞い込んで、今と未来を見据えて生きていきたいと思う。
そのための解決策には「現在に邁進する」が挙げられると思う。
現在の現実に目を向ければ、私は仕事を持っているし、趣味も持っている。前述にも係るが、その「やるべきこととやりたいこと」に没頭して、前述の「なりたい自分」に向けてまっしぐらに進んでいくことが、必要なのだと思う。

よしあしものさしの撤廃

価値判断基準を「良い」「悪い」に当てはめないで、ただあるがままに受け入れるということをやっている。
この価値判断基準(撤廃も価値判断基準に含まれる)は、自分で考え出したものである。
その結果、私は物事に対する評価をリセットすることができた。
巷間に出回る言説に対して振り回されることがなくなった。ただそこに「在る」だけだと感じるようになった。
世の中には多分「良い」も「悪い」もないのだと思う。ただそこに存在するのは「存在する」「存在しない」だと思うようになった。
この価値判断基準をもとに、新たに「自分の望むもの」を加え、価値観をアップデートしていく必要はありそうだ。

他人に縋る

「他人の期待する自分」に合わせて選び取ってきたものの多さから、私はおそらく他人に縋りがちなのだと思う。
他人を「頼る」ことは誰しもしていることであるから、それは問題視しない。問題は私は「頼る」を超えて「縋る」ことにあると考える。
他人の目線を気にしてないつもりで、実は他人の要望に沿うような、そんな人生だった。
一旦懇意になった人間に対しては「これからもずっと友達」で在るかの様に振る舞うし、縁の切れることに関してはものすごい悲嘆を覚えたものだった。これは「縋る」と表現して差し支えないだろう。
そんな自分を一旦認め、これからは「他人は操作不可能」という原理を信じて生きていきたいと思う。
人間関係は難しい。構築するのも大変だが、維持管理にも時間的精神的コストを投じる必要がある。
そんな魔境に、飛び込んでいって、私には「縋らない」と言う選択肢を取るのは正直言って恐怖が伴う。
これを解決するにはどうしたらいいか、今の私にはちょっとわからない。だからこそ「問題」として取り上げた。

解決するにはどうしたらいいか

以上の精神発達課題は、形式化するのが難しい。形式化はとりも直さず「捨象」を伴うからだ。
ともなれば、形式化せずに愚直に「自分の思う望むまま」の声を聞く必要がある。
私の問題解決の鍵は、以上に取り沙汰された事柄全てに潜伏する「自分を持っていない」に還元されるからである。
「自分を持つとは何か」難しい問題である。ひとまずは自分の思うがままにやってみて、失敗したらその都度フィードバックし、何が本当の問題だったのかを見つめ直すというフェーズを経る必要がある。これは苦しい作業になる。苦しいが、やってみる価値はあるし、何より「問題を解決したい」と願う私の心に初めて寄り添うものだからである。

これからは、より「苦しい」人生が待っているかもしれない。それでもあきらめず、時には休憩もして、この諸問題に取り組んでいきたいと望むばかりである。

物語を構成するのは単に文字や言葉だけなのか

ブログなのでお出しする内容は結構吟味したりするものですけど、本来ここはノートだったり日記だったり備忘録だったりするのでその制約を一旦なかったことにしてポエムだのなんだのを書いてみることにしました。私は言語学をやってますが、皆さんに比してその知識も技術もしょっぱいものなので、考察も甘いかもしれません、という予防線を張っておきます。

物語の構成要素は言うまでもなく言語ですが、そのさらに分解したものを見てみると言葉や文字になります。ですから物語の「原子」は言葉や文字となるわけです。

しかしそれらがただ羅列されただけでは言葉のサラダになってしまいますね。ですからそこをつなぐものがきっと何かあるはずです。ルール、規則。文法がこれに値するように思えますが、文法は言葉の決まり(とは限らないこともありますがここではそういうことでひとつ)。物語を構成するものとして定めて良いものでしょうか?

非文法的、つまり定められた文法に反するような文は非文と呼ばれますが、これだって物語を構成しても良いはずです。というか、私のブログ含めて日本語の文章と呼ばれる代物は文法をほぼ意識しておらず、頻繁に非文のようなものを生み出しているはずです。だとすると、文法は必ずしも必須というわけではなさそうです。

とは言え、完全に意味が通らない文は物語の部品としては機能しなさそうです。では「意味が通る」とはなんでしょう?これはかなり難しい問題のようにも思えます。

我々が言語を解するのは、常に「意味が通る」とされてきた発話にさらされてきたからにほかならないと思うのです。つまりは「意味が通る」とされる発話、記述の内的蓄積がモノを言うのです。その蓄積から「意味が通る」という解が導き出され、そしてまた我々は発話をするわけです。以降その積み重ねです。

ではなぜ時代によって言語は変容してきたのでしょう?平安時代に話されていた言語と、現代日本で話されている言語とでは、なぜこんなにも違いがあるのでしょう?

これは私の霊感ですが(そもそもこの記事はポエムなので学術的な考察はぶん投げる)言語はそれを話す主体である人間たちの個体それぞれの中で用いられると共に、他個体との意思疎通にも用いられます。私は個体間の意思疎通自体はともかくとして、この「自分の中だけの言語運用」に個体差があると感じていて、その僅かな違いが意思疎通を介して伝播していくのではないでしょうか。これが言語変容の一端を担っている雰囲気はありそうです。

話はだいぶ逸れました。物語の役割の面から考えてみても良さそうです。

物語とは「人に読まれるもの」の一つです。ですから、自分のためだけに書かれた物語もまた自分に読まれることを想定しており、その意味で「誰にも読まれない物語」というものは定義的にありえないわけです。つまり物語は言語の表現の表出であるとともに、人間他個体へもたらされる「意味が通る」記述の担い手です。この記事も物語の一種で、みなさんになにか感情を伝えたりしているわけです。より正確には感情が惹起される原因を蒔いているわけです。

そういった物語の性質を考えるに、物語の構成要素は先程述べた「意味が通る」ものたちの最小要素と言えそうです。ここで合流しましたね。さて「意味が通る」ものたちの集まりは果たして物語たりうるか?という問いが立ちそうです。では数学書は「意味が通る」ものたちの並びだが、物語を書いたものか?六法全書は「意味が通る」ものたちの列挙だが、物語を書いたものか?辞書は?例文集は?などなど問いは尽きませんが、おそらくおおよその人々はこれらを物語とはみなさないでしょう。では物語を物語足らしめているものはなにか?これに問いをつなげていきたいと思います。

さて、先程列挙した例はおおよその人々は物語とみなさないものの例でした。物語にあって、数学書六法全書、辞書、例文集などなどの「意味が通る」ものたちの集まりでありつつ物語にならないものにないものはなんでしょうか?

『意図』はどうか?これはそぐわなそうです。先程の例4つにもそれぞれ意図が眠っている、いってしまえば「利用目的にそぐうように」「意図的に」編集ないしは執筆されています。ですから物語に固有なものではないように思えます。

『語り手の有無』はどうか?これは当てはまりそうに思います。先に列挙した4例に限って言えばこれらには「語り手」と呼ばれるものは登場しなさそうです。

では『語り手の有無』だけが物語に固有な条件なのでしょうか?他にも探せばもっとあるかもしれません。

『筋があるかどうか』も視野に入れてみましょう。物語では筋は欠かせません。でも、数学書には「この知識や定理や命題や証明を書き記す」という「筋」が存在しています。では数学書も物語?だんだん境界があやふやになりつつありますね。

 

以上の考察は中途半端なものですが、物語を構成するには単なる「意味が通る」ものたちの集まりだけではないものも必要なことが明かされてきました。

それは「筋」かもしれないし「語り手の有無」かもしれない。

物語は伝えられることを役目に負っていて、それらは全てが読まれることを想定しています。

そこから考えると『聞き手の有無』も勘定に入る可能性が出てきました。聞き手とはここでは読者とは異なるものです。私が考える聞き手とは、いわゆる役割であり、読者がその役割を演じることで達成される概念だと思っています。

聞き手は物語に接して感情を揺さぶられる。これはある意味物語特有と言えそうです。もちろん数学書で感情を揺さぶられないではないですが、それは数学書の意図したものとは違いそうです。数学書を物語と捉える向きの方には申し訳ないですが……。

ここまでをまとめると、どうやら物語は「語り手と聞き手」の存在が支配しているように思えてなりません。

物語とは「意味が通るものたちの集まり」であって「筋が存在し」て「語り手が聞き手に語りかけ、聞き手はそれに揺さぶられる」ものだと結論しても良さそうです。

 

無論、私が考える以上に精緻な物語論を展開している人もいらっしゃるでしょうが、今日はここまでが私の限界のようです。みなさんありがとうございました。また書く日まで。

空を飛べる気がしていたあの頃の私たち

突然だが、私の記憶が断片ながらに戻ってきた。どうやら記憶を取り戻しても精神の安寧に差し支えがなくなってきたのかもしれない。いい傾向だと思う。それでも解離は続いたままだが。それどころか、何人かきょうだいが増えているが。もう全く感知できなかった。ニューカマーはどうやら例に漏れずTwitterからの由来らしい。パターン化できてくるので最早「またか」という呆れというか感心というかを隠せない。

それはそれとして、先月比でだんだん調子が悪くなってきた。腰が痛くて集中力が10%逓減している。それに精神も連日のニュースで疲弊してしまい、インターネットに出張るのすら億劫になっている。ひとたびネットに漕ぎ出せば、陰謀だの、悲嘆だの、憤怒だの、不謹慎だの、いろいろな私にとっての精神毒素が飛び交っていてとても浮遊している気になれない。文字に起こされた情報に敏感になっている私にとっては、これは何倍にも増幅されて、私に傷をつける。それはとても我慢ならない。

東京が、日本が、世界が、ネットが安全だなんて迷妄を信じ切れる、言ってしまえば楽観型の人間が恨めしくもあり羨ましくもある。そんな愚痴を垂れても、どうしようもないことだが。

私にとっては、世界ですら私が私であることすら保証され得ない不信空間の元であり、そのような世界に暮らす人間たちは、どんな危害を私にもたらすかわからない不安定黒箱であり、下手すれば凶器になる。命こそ失わないかもしれないが、痛いものは痛い。

現実と妄想と幻覚と虚構の4つの境目が曖昧になって、外部刺激によるものか、自発的な感傷なのかの区別がどうやらつかない。思い出が突如飛来してきたかのように感じられるかもしれないし、外部からの干渉が自発的な思考によるものと感じられるかもしれない。これは境界が非常に曖昧になっている危険な状態であると言い切れる。しかしながら私はそれを間接的に見ているだけであって、どうやら実感は「全てが私であって、全てが私でない」らしい。困ったものである。

飛来してきた思い出

物心がついてしばらくして、親の手を少しずつ離れて、学校という人間関係の檻に初めて閉じ込められた。あの頃校舎の中から見上げた空はとても青く、ここから離れられたらいかに自由かと夢見ていた日々。学校に行かなくていい大人たちが羨ましくてたまらなかった。

意味を見出せない団体行動だの、分かりきっている問題を課される課題だの、このようなことをやって役に立つのか?他の連中にとっては面白いのか?などなどあさっての方向に疑問を飛ばしては教師に叱られていた。いじめもあり、行く意味を見出せなくなっていた学校。大人になってから「かけ算なんて順番なんかどうでもいいじゃないか」と言ったらタコ殴りに遭った悲しい日の思い出。大体あの手の「算数警察」なんてのは、私たちみたいな義務教育のはみ出し者を救う気なんかさらさら無く、教師のヘボさやダメさ加減を論って一丁噛みして偉ぶってるだけのニワカものにすぎない。数学のプロフェッショナルなんかはああいう連中に洟もひっかけない。くだらないし、本物の数学に向かう方が数学者にとって何倍も有益で楽しいからだ。

今日みたいにじめっとして張り付くような暑さが脳髄を焼いていたあの頃の真っ昼間。

私は、いや私たちは、学校に行けなくなった。

近所を徘徊しては人気のない公園や廃墟に入り浸って暑さをしのいで、蚊に刺されながら、陽が落ちるのをひたすらに待った。

蝉が鳴いていた。じわじわ、みんみん。暑さを増幅されるようで嫌な気もしていたが、あの空間に私たちひとりだけでないことを証明してくれるようでもあって心強くもあった。自然は厳然とそこにあり、私たちがどうあろうと、そのまま物理法則という絶対的なものに従いながら、ゆったりと、しかし確実に全てを押し流していく。私たちもいずれ死ぬ。死ぬのは怖いが、必定なるものである。

宇宙が散らばってまた一つに戻った頃、私たちは夕闇にぽつんと残されていた。蝉の鳴き声がひぐらしに変わる頃、私たちはハッと気がついた。「学校をサボった」と。

親は怒らないだろうが、翌日以降の教師たちの吊り上がった目が脳裏に浮かぶ。何をしていただの、どうして来なかっただの。どうせ来たって私たちの成績をぶっかいて他の生徒の点数に充てるだのして、そうした不正を働いて、私たちを足蹴にするだけなのに、どうして学校に行きたいと思うと思うのだろうか。誰も解けなかった数学の問題を解いただけで非難され、私たちの成績にマイナスをこれでもかと付け加え、逆贔屓にしていたくせに。それで学校に来い、などとよく言えたものだ。

限界だ、と思った。

中1の夏、私たちはどうやらここで「分裂」したらしい。性自認が男の組と女の組に分たれた。思春期の頃の私たちは、ただでさえ不安定な精神を、更なる荒波が荒ぶカオスにぶん投げられた。

やがて月日は過ぎ行き、私たちは大学学部を卒業するに至った。

そうして得られた「学校」という枠組みの外に居てもなお、不自由な、巻き付けられたしがらみは、はずれそうにないようだ。

私たちは「『青くない』と嘆く真紅」であり「『空を飛べない』と嘆く魚」なのだった。

 

私たちは、空を飛べると思っていた。

私たちきょうだいの現状とか性質とか私から見た感想とか

私たちsirkerfDID家族についての話。

特に関わりが深いきょうだいたちについて書く。

私は主人格時代は他のきょうだいとは脳内でも意思疎通ができなかったのだが、精神の裏側にいる時間が長くなってくるにつれて、意思疎通ができるようになり、あまり一人ぼっちではなくなってきた。

関わりが深い者には「髭」「線」「夢」「狐」がいる。それぞれ紹介していく。

髭は私たちの主人格である。私の歳下ではあるが、頼れる兄貴分。本人は否定するが社交性に優れているところがあり、初対面の人間と打ち解けるのが得意。仲がいい彼女がいて、その人と毎夜寝落ち通話しているらしい。

髭は私から見ると社交性が高いように見えていて、それが人生をうまくやっていくのに向いていると思ったので主人格の席を譲ったという経緯がある。その結果は当初思っていたようなビジョンに沿うように思わしいものではなかったかもしれないけれど、私は彼に席を譲ってよかったと思っている。仕事も彼がメインで出張っている。

髭はこのブログに書いた通りに、私がいじめられていた時に反撃していた人格である。だから性格に難があると指摘されることも多い。実際髭は攻撃的な側面を有している。彼がDiscord鯖を蹴り出された理由もそこに起因するものがある。

髭は現在「親しくしていた人が離れていく」という問題に直面しているらしく、たいへん悩んでいる。後述する線に対人関係のパターン認知の一例を学んでいる。

 

線は昔の名前は「聡明な少女」だった。自覚された当初は私の数学的知識を「盗んで」いた。それほどに数学が好きで、今では全きょうだいの中でもトップクラスの数学の実力を誇る。やはり本人はそれ否定するが、今では数理的知性を担当している。

彼女は私と同程度かそれ以上に重いASD特性を抱えていて、かつては私以上にトラブルを抱えていたらしい。彼女は情報を欲する本能が強く、人間に対しては「わからない黒箱」という認識でいた。だから情報が出尽くす、彼女なりの言い方をすれば「規則性と再現性が取れたら捨てる」という人間関係方針をとっていた。それがかなりの災いを呼んで実害が及んでからは方針を切り替えて人間関係を維持しようとする姿勢に変わった。当初は人間関係の能力の基礎がなかった線はトライアンドエラーの「ルーチン」を回して対人関係の基礎を培った。それが髭の対人関係の補完に役立つ日が来るとは……。人生とはわからないものである。

 

夢は0歳くらいの記憶をも持っているきょうだいで、通称とモデルとなったのは由来が私が愛してやまない「美国織莉子」である。便宜的に「織莉子ちゃん」と呼んでいるが、性格は割と異なっている。

彼女は未人格との交渉を担当している。性格は私が嫌った「思想」が強く、私は深入りしていないがそういった主義主張を開陳していた。おかげでTwitterは私よろしく燃えあがっていたりしたそうだが、最近は浮上頻度が落ちてそういうこともなくなってきたようだ。

精神界の彼女は本当に「織莉子ちゃん」そのものなのだが、ところどころで違う雰囲気がある。うまく説明できないが……。

 

狐は私たちのほぼ全てのつらい記憶を背負い込まされてきた「自殺人格」が人格に格上げされて生まれた人格だ。「銀乃さん」と呼ばれている。

彼女は私と好対照を成す人格と言ってもよく、かつては彼女の本調子が私の不調と連動しており、彼女の不調が私の本調子と連動していた。そんな「こちらが立てばあちらが立たず」な関係だった私たちは2019年頃を境になんとか両立するようになった。

彼女はやはり私が苦手とする「政治」を好んでおり、事業所内部でも私たちが有利にことを運べるように人を動かしていたりしたらしい。今でも事業所の面子と顔を合わせて色々と友誼を図ってくれるのは彼女のおかげであるところは多分にあるだろう。

 

こんなところで今回の記事は終わりにしたい。

読んでくださってありがとうございました。

性の在り方と創作

ジェンダー論素人なので気分を害する可能性がありますが予防線張る前にとっとと書けという話なので書く。

前稿の序盤で書いたラジオの主催者は「現実が先にあって、フィクションはそれを反映する。または追従する」とおっしゃっていた。私もこれに同意する。

ヒト個体の性自認や性指向の在り方の多様性は確認されてから久しい。(認められている、とは言い難い状態では現状残念ながらあると思う。)

性とは日常に根ざす非日常で、どんなポルノスターであっても、寝る時間と食べる時間の合計した時間以上セックスをしているわけではない。そして子孫を残すという生物に与えられた宿命を果たすために、性は存在している。(無性生殖は存在するがここでは無視する。)

日常を描いた作品であっても、そこには何かしらの非日常性が含まれている。そこと現実の落差が、面白さを生むのである。

であるからして性は娯楽の対象にもなりうる。日常に根ざす非日常だからだ。

さらには個人の性の在り方も好奇と興味の対象になる。個人の生き様自体が好奇の目に晒されるので、これ自体は自然である。

ここからセンシティブ。

個人の有している性指向は、多様性が確認されている今でも特殊性を帯びる。同性愛だとか、ポリアモリーだとか、浮気症だとか。そして、その話は不謹慎さを覚悟で言えば「面白い」のである。

フィクションは現実を反映する鏡だと彼はいう。

現実にこのように存在するからには、創作には題材として取り上げられる。私もその特殊性を面白がって、創作の題材にしている。(わいだん事務所とかね)

フィクションの性質は現実に先行するものでは滅多にない。確かに先見性のある作者がこの社会の来る先を見通していたりはするが、おおよその創作物は現実に根ざしている。そしてそこの落差を面白がらせる事を企図しているわけである。

フィクションを悪様に罵っても、現実は変わらない。

もしあなたが嫌いなフィクションを根絶やしにしたいのなら、そのフィクションが発生する原因、現実を変えなければいけないと私は思う。

現実を変える活動をしていると主張する人のほとんどは、それの表出物であるフィクションを標的に論っているように見える。

フィクションはフィクションである。現実ではない。