ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

精神的成長に対するハッカー的態度

問題を解くのが大好きなら自分の成長課題だって「問題」と捉えられないか?

この世界は解決を待つ魅力的な問題でいっぱいだ

いきなり「ハッカーになろう」の冒頭部分タイトルを引用してみた。
私はハッカーになりたい謂わばワナビなのだが、このように問題を解決するという営みに対しては一般人よりかは強い興味と関心を持っていると自負できる。
一つに執筆、一つに数学、一つにロジバン、一つにプログラミング、一つに語学、一つに言語学、一つに文学。挙げるとキリがない。
これらの学問及び芸術は、形式的な側面は多いものの、概ね「問題を解決する」ことで技術や心得を会得できるものだと思っている。
なれば、自身の成長課題についてもこの様なアプローチをすることは、前進に資するのではないかと考えた次第である。
以下は一般論にしようとしたが失敗したので、私の精神的課題に焦点を当てて話を進めたい。

自律ないしは自立

私は自分で言うのも恥ずかしいが「自立」「自律」できていないきらいがある。
ある友人の曰く「他人から要請されるものを自分がしたいものだと置き換えて取り組んできた過去がある」と指摘された。
期待される自分に、自分がなりたいものを牽強付会して、それを自己実現と錯覚してきたのが、私であるとのこと。
そうした結果、自分では「自分のなりたいもの」「自分の欲しいもの」をあたかも「自分で選び取ってきた」かの様に振る舞ってきた。 これは言ってしまえば欺瞞である。
そのような今までの自分を一旦認めて、これからは「本当に自分の欲するもの」に耳を傾け、自立していく必要がある。
この問題の解決方法は、一つは「自分の求めるもの」は本当に自分が求めているものなのかを疑う必要があると感じた。
「人に期待される自分」を欲していたのが今までの私だった。これからは、人に期待されなくても「本当に自分の望むもの」を追い求めていきたいと考える。
思い返せば、やりたいと願ったのに諦めたことは結構あるんじゃないかと人生を振り返って思う。
これからはそういった「やりたかったこと」を反省し、自分の求める自分像を探していく旅に出たいと考える。

過去の断ち切り

人には取り返しのつかない選択のせいで失ったものは山ほどあると思う。一つに進路だったり、恋愛だったり、仕事だったり。
その過去に、私は引きずられがちだった。ひたすら内側を向き、過去を見て、取り返せないものを嘆く時間が多かった。
これからは、そんな過去を「過去の箱」に仕舞い込んで、今と未来を見据えて生きていきたいと思う。
そのための解決策には「現在に邁進する」が挙げられると思う。
現在の現実に目を向ければ、私は仕事を持っているし、趣味も持っている。前述にも係るが、その「やるべきこととやりたいこと」に没頭して、前述の「なりたい自分」に向けてまっしぐらに進んでいくことが、必要なのだと思う。

よしあしものさしの撤廃

価値判断基準を「良い」「悪い」に当てはめないで、ただあるがままに受け入れるということをやっている。
この価値判断基準(撤廃も価値判断基準に含まれる)は、自分で考え出したものである。
その結果、私は物事に対する評価をリセットすることができた。
巷間に出回る言説に対して振り回されることがなくなった。ただそこに「在る」だけだと感じるようになった。
世の中には多分「良い」も「悪い」もないのだと思う。ただそこに存在するのは「存在する」「存在しない」だと思うようになった。
この価値判断基準をもとに、新たに「自分の望むもの」を加え、価値観をアップデートしていく必要はありそうだ。

他人に縋る

「他人の期待する自分」に合わせて選び取ってきたものの多さから、私はおそらく他人に縋りがちなのだと思う。
他人を「頼る」ことは誰しもしていることであるから、それは問題視しない。問題は私は「頼る」を超えて「縋る」ことにあると考える。
他人の目線を気にしてないつもりで、実は他人の要望に沿うような、そんな人生だった。
一旦懇意になった人間に対しては「これからもずっと友達」で在るかの様に振る舞うし、縁の切れることに関してはものすごい悲嘆を覚えたものだった。これは「縋る」と表現して差し支えないだろう。
そんな自分を一旦認め、これからは「他人は操作不可能」という原理を信じて生きていきたいと思う。
人間関係は難しい。構築するのも大変だが、維持管理にも時間的精神的コストを投じる必要がある。
そんな魔境に、飛び込んでいって、私には「縋らない」と言う選択肢を取るのは正直言って恐怖が伴う。
これを解決するにはどうしたらいいか、今の私にはちょっとわからない。だからこそ「問題」として取り上げた。

解決するにはどうしたらいいか

以上の精神発達課題は、形式化するのが難しい。形式化はとりも直さず「捨象」を伴うからだ。
ともなれば、形式化せずに愚直に「自分の思う望むまま」の声を聞く必要がある。
私の問題解決の鍵は、以上に取り沙汰された事柄全てに潜伏する「自分を持っていない」に還元されるからである。
「自分を持つとは何か」難しい問題である。ひとまずは自分の思うがままにやってみて、失敗したらその都度フィードバックし、何が本当の問題だったのかを見つめ直すというフェーズを経る必要がある。これは苦しい作業になる。苦しいが、やってみる価値はあるし、何より「問題を解決したい」と願う私の心に初めて寄り添うものだからである。

これからは、より「苦しい」人生が待っているかもしれない。それでもあきらめず、時には休憩もして、この諸問題に取り組んでいきたいと望むばかりである。