けものフレンズなりきり、コノハはかせを演るにあたって
なりきり。私のワイフワークといっても過言ではない(過言)
なりきりは私の人生と共にあった。実生活の苦難からの逃げとしての手段でなりきりをやっている面があり、要は現実逃避である。
美国織莉子を演って以来長らくなりきりから離れているので、またこの機会に再開しようというところだ。
選んだキャラクターは「けものフレンズ」より「コノハはかせ」。
調べたところ、複数のアカウントが観測されたので、ドッペルありでも問題なさそうである。
どのようなアフリカオオコノハズクにするのか、ここでちょっとキャラクターを立てていきたい。
どう立てていくか、言語化した記憶がないのでここで言葉にしていく。
まずはなりきりに対しての姿勢を言葉にしていきたい。
なりきりをやるにあたって私が重要視しているのは
・キャラクターらしさ
・キャラクターの差別化
・なりきりに持たせる役割
・なりきりが抱くであろう思想
の4点である。
1点目は言うまでもない。形がアフリカオオコノハズクなのに、台詞回しがサーバルなのではちょっとちぐはぐである。サーバルを演れという話である。
2点目もそこそこ重要である。どのように差別化するのか各人によって異なるが、私は後2点によって差別化を図っている。
これは独自設定、呼称名などで図ることもできる。
さて3点目であるが、これは「私の中でのそのなりきりの役割」と「なりきり界隈の集団の中での役割」に分けられる。
前者は私がそのキャラになりきるのに『入り込み』で重要になってくる。どういう役割を演じるかでなりきりの方針が変わるのである。
後者はその集団の中での「なりきり」がどういった扱いになるのかで変わってくる。扱いが悪くなるようであれば撤退か孤立になるが、ウケればそこで振る舞いが決まる。
受け入れられるかそうでないかはキャラやその演者に依るところが大きい。私の美国織莉子はごく小さな輪でしか受け入れられなかった。
4点目はそういった「集団の中」で演っていくにつけ、そのキャラクターが持つであろう思想をあらかじめアタリつけしておくのである。
美国織莉子が持った思想は「自分の信じた道を歩む」であった。
以上を踏まえてなりきりの「デッサン」をする。1点目はいいだろう。
2点目(つまり3点目と4点目)はどうするか。
独自設定を用いたい。
ジャパリパークに「ヒト」のフレンズが訪れ、としょかんを整備し、フレンズたちがとしょかんを利用できるように「文字」の概念を教えることを目的とした「がっこう」が設立されたという設定を立てた。
やがてがっこうはとしょかんを本格的に利用するためのみならず、「数を数える」ことや「物のはたらき」の仕組みを教えたり、フレンズが独自で操る専門技術を披露する場所までに役目が広がり、増える学生をカバーするためにじょしゅとはかせ、「ヒト」のフレンズ以外の「きょうしょくいん」を育成する機関も担うようになった。
やがて広がりすぎた「がっこう」は教えるものを「かもく」として単位化し、習得したとみなせる者から「そつぎょう」させていく制度を制定した。
こうして現代人間社会の教育機関モドキと言えるまでに成長した「がっこう」で、「きょうしょくいん」を志望するフレンズが現れた。
それが私の演じる「アフリカオオコノハズク」である。
こんな感じで演ってみたいと思う。
どのように受け入れられるかわからないが、受け入れてもらえれば幸いである。