ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

デレマスアイドル、特に森久保乃々について

唐突にデレマスアイドルについて思ったことがあったので書こうとしたけど浮かんでは消えてを繰り返す泡沫並に脆い私のアイデアはこのタイトルを書いている間に雲散霧消してしまった。はぁ。やるせない。

TLや雑談スレを見ていると、当然(なのかしらんが)ながらみんな公式の記述やセリフに基づいて妄想してて、なかなか地に足ついた考察をしているなと思っていた。
あんきらの杏が輝子に言ったセリフが∀NSWERで使われているのを見て繋がりに気づいたり見出したりしてるのを見るとすげーなって思う。文献索引力に乏しい私からすると羨ましい妄想の手段だと思った。
おりマギくらいでしかこの索引力発揮できなかった。まあセリフbot作ってたくらいだからな。おりマギセリフbotといえばもう凍結しちゃったけどね。何がいけなかったのか今でもわからない。

この索引の力に乏しいのは数学の証明に現れているなと感じていた。
直前に示したことを使わずに同じような証明を繰り返すやつ。ゼミでやって大失敗した記憶。ああつらい。
証明の訓練をすればこんな索引力がついたりしないだろうか。いやいや何が目的で何が手段なんだか。

デレマスに関する妄想に関しては、特に私は地に足がつかない突飛な、下手したら手前で矛盾を引き起こしそうなふわっふわな妄想を得意としている。
橘ありすや市原仁奈に陰毛が生えてるとか25歳以上組が女同士でセッセッセしまくってる爛れた事務所とか神谷奈緒が事務所アイドルの陰毛の筆をコレクションしてるとかがその最たる例だろう。ありすと仁奈の件なんか某塾が聞いたら割れた酒瓶でぶん殴られそうな言明だ。
なんでそうなったのかわからないが、私が毛フェチなのでそうなったのだろうとしか今は思えない。
てか、百合も薔薇もレズもゲイも果てはNLも苦手で嫌いな割には書くぶんには全く何の抵抗もないっていうのは我ながら不思議なものだと思う。なんでだろう。読み返すとやっぱ無理で死ぬけど書くのはクソ楽しい。謎だ。

あ、思い出してきた。森久保乃々について。
あの子は人と目を合わせるのが苦手で、誰といるよりも1人でいることを好むという性格をしている。めちゃくちゃ今の私。
で、絵本が好きだったり少女漫画が好きだったり、ポエム書いたりするのが好き。この日記をポエムとするなら私もポエムを書くのが好きだ。
そんな単純な共通点で親近感を覚えてしまった。それが1ヶ月前の話。
次第に森久保乃々に精神を病んでもらいたくなった。Pに執着するとか、他のアイドルが好きすぎておかしくなるとか、そういうのじゃないやつ。他人が原因でイかれるんじゃなくて、自分が原因で崩壊していく。

人間、1人でいるのって結構辛くて、日本語は忘れるし、声の出し方は忘れるし、生活リズムは乱れるし、私の場合私じゃない誰かが私の中に発生するし、周りのことは分からなくなるっていう、社会生活を営む能力にだいぶ致命的な欠陥を産んで、それを成長させてしまう。
人間て1人じゃ生きていけないってのがよくわかる。

脱線したので戻す。

その狂気を森久保乃々に搭載したくなった。
ポエムや物語作りってある種の一人遊びじみた精神行為である。
読まれることを少なからず意識する時点で完全な一人遊びではないけど、それでも私のこの日記みたいな「自分の中を観察して表現する」行為はなかなか狂気を生むらしい。
夢日記で狂うって話が有名だと思う。あれ本当なのか知らんけど。
人付き合いが苦手な乃々が、Pか誰かに強制されて克服しようとするのはあんまうまくない。
Pは強制せずにどのように乃々にステージに立たせるかを工夫する人なので、強制が含まれる物語展開は美味しくないのだな。

乃々が人付き合いの苦手意識を克服しようと考えるところから物語は始まった。
森久保には自分自身だけが行ける自分自身だけの精神世界を持っていて、そこで誰かの幻影を見るたびにその顔がないことに気づく。
それは自分がいかに人の顔を見ていないのかを表しているものだった。
愛する人の姿すら性格に想像できないことに、少しばかり申し訳なさと自己嫌悪を抱く乃々が、人の顔を見れるようにするための第一歩が「鏡で自分の顔を見つめること」だった。
最初は上手くいかないけどだんだん繰り返すことで、鼻先や口までは見ることができるようになった。それを他の人……親しい凛や美玲、輝子、まゆなどにも実行することができるようになって、森久保は人の笑顔の一部を見て、知ることになる。

森久保は多分それまで笑い方とか、笑顔とかを知らなかったんだろうと思ってる。それを、この経験や努力を通じて獲得していくという妄想。
妄想はここで止まらない。次第に鏡の中の自分とも目が合うようになって、あまり関わりを持たない事務所の人と顔を合わせてもあまり動揺しなくなるところまで行かせる。

ここからが本番。

鏡の前で、鏡の中の自分に向かって「お前は誰だ」と言い続けると自我がぶっ壊れるって話は聞いたことがあると思う。それを参考にしてみた。
森久保は毎日合わせる自分に、次第にこういう感想を抱くようになる。
「なんだか、どこにでもいそうで、個性がないなぁ」と。(本当はそんなことないが、そんな卑屈な森久保も私は好きだ)
人と顔を合わせることができるようになったことで自信がついた彼女は「でも、もりくぼはもりくぼなんですけど」と言うだろう。
もりくぼは鏡の前で、自分に向かって「あなたは森久保です」「あなたは私です」「世界で1人しかいない、森久保乃々です」と唱え始めた。

絶対良くないことが起きそうだと思わないか。私は思う。「お前は誰だ」じゃなくて「お前は俺だ」って、もっとヤバいに決まってるんだ。
ここから先の展開は考えてないけど、森久保の精神を分裂させて見たり、森久保の精神世界がいびつな方向に拡大したり、森久保がめっちゃ粗雑な性格になったり、記憶飛んだり、街角で綺麗な窓みたいな反射する素材を見ると顔を確認しないではいられなくなったりなどすると面白いんじゃないかなと思った。
もりくぼ語が生まれたり、日本語崩壊するともっとよさそう。自分の症状が捜索に役立つ日が来るとは。
病気も悪いことばっかりじゃないね。ポジティヴに考えるのはいいことだ。
で、もりくぼの狂気って、つまるところそんな「自分の世界がおかしくなること」なんだと思った。さっきも言ったけど、一人遊びの崩壊が、もりくぼにすごく似合うのだと思った。
そう思う私の、もりくぼに対する感情はきっと悪いものじゃないと思う。うん。

人のことを考えているけど、結局は自分1人のことしか見られないってのが人間。でも1人じゃ生きていけないのも人間。場合によっては俺みたいに自分のことすらわかんなかったり、自分ですら自分じゃないみたいな人もいるけど。
うん、今日もしっかり生きていきましょう。はい。日記って何書いても怒られないからいいね。