ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

毛はどのようにしてGoogleに落ちたのか

Googleに落ちました、はいおしまい。ではそうは問屋が卸さないとのことで、傷をえぐりながら落ちた経緯について思い出せる限り詳しく書こうと思います。試験の内容なんかは書けないけれど、そこに至るまでの経緯くらいは書けたらいいなと思っています。周辺状況のことも書けたらいいなと思っています。

 

時は3月。一念発起して「どこかIT企業を受けたいぞ」と思った私(たち)はどこかいい企業がないかと色々探しておりました。

そこで友人であるK氏にGoogleを受けた旨を聞いたのでした。氏とは結構親交が深く、時たまオフ会を開いてはお互いの知識の交換などをして喜び合うという仲です。氏は情報科学や計算機科学に強く、よくアドバイスをもらっています。AtCoder青の人。その時点で色々と察するべきだったのだが、私は察しが悪い。

K氏からGoogle受験(この言い回し合ってるのか)の話を聞いて、身の程知らずにも「私ももしかしたら受験できるかも」と思ってしまった。私もかなり成績が下の方とは言え、情報科学の学科を卒業した身分。もしかしたら、もしかしたらと言う思いで受験の意思を固める私でありました。

4月の頃、今度はN氏に「Googleを受験するにはどのような準備をしたらいいのか」と言う旨のDMを送信しています。そこで返ってきた内容によれば「英語で履歴書を書いて、このフォーム(Google career)で送信するべし」とのこと。英語で履歴書か〜〜〜〜〜〜とかなり「うへぇ」な気分でいた私は、M君をはじめとする英語の強い友人諸氏に助けを借りて、なんとか英語で履歴書を作成しました。学生時代やちょっとしかなかった会社時代の、これまたほんのちょっとの業績を針小棒大に書いては拙い英語に訳してえーこらひーこら言いながらなんとかA4一枚にまとめたのでした。

大学時代はC言語で簡単なゲームを作ってそのゲームのAIを作り、学習させたりして強くすることをやっていた。(嘘ではない)

会社時代はショッピングサイトのサンプルを作成して、Javaでいろいろやった。(これも嘘ではない)

……くぁ〜〜〜〜〜!!!Google受かったキラキラした人たちの業績などと比べると、なんともチンケで安っぽい経験であることよ。なんて言ったら、私が行っていた大学や会社に失礼だけど。

そうして履歴書を書き終えて、事業所(就労移行支援)の方に話をすると。

「毛さん、まだウチにそんなに通えてないじゃないですか。その調子で受験して、受かったとして、会社に行けるんですか」

それはそれはもっともな意見でありましたとも_(┐「ε:)_ 

一旦ここで事業所の面談が挟まります。事業所では色々と見栄を張っていた(私自身はそんなつもりはなかった)らしい私はスタッフさんに見事に買い被られて「受かる前提で」話を進められてしまいました。

「受かったとして、会社に通えるかどうか検討しないと」

障害者雇用で雇ってもらうのか、その辺もはっきりしないと」

「受かったとして、Googleさんとこの事業所はどのように連携を取るべきなのか」

……などなど。今思えば恥ずかしい事ばかりですが、かなり真剣に考えてくれていたのだなと足を向けて寝られない思いです。

なんだかんだ色々と生活習慣方面はちぐはぐなまま、履歴書を書き終えて事業所のスタッフさんに見てもらい、OKをもらったところでフォームで履歴書を送信しました。英語で何書いてあったかよく覚えてないけれど「応募してくれてありがとう」みたいなことが書いてあった気がします。

そこから始まったプログラミング訓練の日々。Pythonでいろいろと、AtCoderの問題を解いてみたり、Pythonの文法をまたおさらいしてみたりなどなど、やれることをやるだけやっていたと思います。

……でもこれが受かった人との違い。結局プログラミングの勉強も「やれること」しかできていなくて、「できないこと」を「できること」にできていませんでした。これが昔からある私の悪い癖で、できる範囲のことだけをできると確認して満足してしまう悪い癖がある。それがここでも出ましたね。それに、1ヶ月の間では、私の進捗および進歩などは、たかがしれていたのかもしれません。

こんなこと書いたら「いや精進が足りなかっただけでは」と言われますが、まさにその通りで精進が足りなかったとしか言いようがないです。Google受けるぞーと大言壮語を吐いておきながら、中身が伴っていない怠惰な人間となれば、私を見下す人もいますでしょう。

今後できることといえば、Pythonで「今の私ができないこと」をちゃんと把握し、それを「できるように」なるにはどうすればいいかをきちんと考えていきます。これだと中身がないので、例えば「AtCoderで解けなかった問題を解けるようにする」が具体的な約束になるでしょうか。きちんとやっていきます。他にもいい問題集サイトがあれば紹介していただければ助かります。きちんとやっていきます。

そうしてGoogleの採用担当者から連絡が届きました。担当者からは「コーディング面接に進んでいただきます」との内容。書類は通ったのでした。K氏から「書類で落ちることもある」と言う話を聞いていてビビっていた私は、ここで安堵し、こともあろうか「もう受かった」と完全に舐めきっていたのです。後述するように、その慢心は、コーディング面接で完全に打ち砕かれることになるのですが……。

この頃から段々と精神に不調が見られてきました。例えば新しい人格の分裂など。ちょっとしたことがきっかけになって、二人もの人格が分裂してしまったのでした。この件についての詳細は後日に譲るとして、そんな調子でプログラミングの勉強もはかどっていなかった私は、基礎も応用もグズグズのまま、コーディング面接に挑むことになります。

ここでGoogleを受験した方々には「おや?」と思われるかもしれません。実はコーディング面接にいきなり進むのは、K氏からも指摘されたのですが、珍しいケースらしいのです。

本来のコースであれば、コーディング面接に入る直前に電話での「計算機科学のことについての基礎的事項の問答」が入るのです。それが私の場合ではありませんでした。何故だったのか、今でもわからない。

実は履歴書には経歴の他にも「ADHD ASD DID BD などを持つ障害者である」旨も記載していました。それを見て、いわゆる別コースに入ったのではないか、とK氏の指摘がありました。そうだったのかもしれない。今では知るすべはない。

 

4月18日。18時。

コーディング面接が始まりました。面接とは言っても、AtCoderみたいに制限時間付きで問題を解くと言うだけのクイズ形式。クイズとは言ってもそれなりに難しく、AtCoder(ABC)で言えば300から400くらいの問題でした。(あれ?簡単では?と言う人、すんません、私は雑魚でした。)

 

で。

 

……わからん!(ジャガーマンシリーズ)

できる問題をできる範囲だけで解いて「ヨユーじゃんヨユーじゃん」とか嘯いていた私に降りかかる、現実と言う名の鉄槌。アバーッ!!!

問題文がまず英語。それはいい。ちゃんと読めるから。っていうか読みやすい英語だなオイ。

で。

問題が何言ってるかわかるけど、それをどう実現したもんかわからない!!!!

え!これってこないだやった問題に似てるけどそれじゃ全然解けない!!どうするのこれ!!ねえどうしよう!!!

なんて混乱で頭が真っ白に。やったことがあるはずの問題でもこんな目にあってしまうなんて。というか、試験に弱いな私。院試のときもそうじゃなかったか。そして立て続く人格交代。他の人格も問題に直面して、彼なりに彼女なりに解こうとした形跡が手帳に踊っている。って言うかこれ不正に当たらないのか。大丈夫なのか。複数人受験にならないよな。

髭「わかんねーなこれ リスト使うんじゃね」

線「わかりません 難しいです」

頭「コメントできる状態にない」

狐「探索だと思うけどやり方わからない」

梟「同じく探索だと思いますが方法を失念しました」

接「これ探索じゃなくてソートだけだと思うけど 値をソートして名前と値段リストアップするだけじゃん?」

髭「じゃあそれでいいんじゃね」

接「コード書けない☆ミ」

実際のやりとり。結局あの問題はどう解けばいいのかわからず。全部で2問あったのですが、2問目も同じくわからず。というか2問目が桁違いにむずかった。わかるかあんなの。多分600点相当だと思う。あれは本当に難しかった。

で、私に戻り。

私「ほぁ…………」

茫然自失意気消沈な私は、そのままふて寝してしまいました。何やってんだ。

時間が来て試験終了。「ほぁ…………」。

そのまま交代に身を任せて私の意識は曖昧に。

1週間後。

Google「これからのご活躍を心より祈念いたします」 

で、で、で、で、ですよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。 

このようにして私のGoogle挑戦は砕け散ったのでした。 

いい経験ができたと思って心の奥底にしまっておくべきだったのかも知れない_(┐「ε:)_ 

ハァ〜〜Google入りたかったなぁ〜〜〜〜〜?????

 

以上になります。読んでくださってありがとうございました。

精進記録とかその他の出来事については、また今度の日記で綴らせていただこうと思います。よろしくお願いします。