ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

思想信条と行動規範

人が何かしらを思い考えていることと、その行動は必ずしも一致するとは限らない。

具体例を上げれば枚挙にいとまがないが、あまりに膨大すぎて一つをあげるのにも億劫なくらいだ。私で言うなら、けもフレに関して関心があるにもかかわらず、そのイベントの出席には全部別人格に任せてしまっているなどがある。

この通り、思っていること、考えていること(以下思想信条とする)と、行動の類型(以下行動規範)は面白いほど一致しないパターンが多い。

私は思想信条と行動規範には分断があると考えているのである。思想信条はその人が考えたり、好んでいる「考え」だ。一方行動規範はその人が行動をするにおいて知らず識らずかあるいは意識して通過している、言葉に換えられる「条件」である。

思想信条には思考を伴う。そして行動規範は行動を伴う。この両者の動作には乖離があると思っている。

ある人が考えていることは、そこには感情の結果だったり、刺激に対する反応があったりなど、様々な結果が「内部」に渦巻いている。それにはいっときの感情であったり、表出することのない無意識として処理されてしまっていることもあろうと思う。

対抗して行動には、すでに物理的にしろ精神的にしろ、「外部」に結果を残す行為のつめ跡である。それは不可逆的であることが多い。そして「外部」に結果を残すことはそれ相応にエネルギーを必要とするであろうことは想像にかたくないであろう。

このエネルギーの閾値を越えるか越えないかで、考えと行動に差が生まれてきてしまうのだと思う。

ある事象に関しては「面倒くさくて」行動に至らなかった。そうして内部で内々に処理されてしまう。でも思考としては残り続ける。

ある事象に関しては「どうしてもやりたくて」行動に至った。こうやって外部に爪痕が残る。

行動規範は行動から類推することがときに可能である。そのときに残されたつめあとを収集し分析することによって、その人自身が無意識的にであれ意識的にであれ参考にしている行動規範を浮かび上がらせることができてしまう。

ここで注意したいのが「思想信条」を行動から読み取ることは難しいと言うことだ。

先にもいったように、考えは内部で渦巻いていることが多い。思想信条は内部に渦巻いている結果の総称だ。しかし外部に出ているのはここでは行動のみである。

であるからこそ、行動からは行動規範しか読み取れず、思想信条は読み取れないと言うことになる。これが分断の結論である。