問題解決のためにできることは何かといろいろ考えていた。問題解決を助けてくれる本は巷に溢れかえっているが、その本を立ち読みしたり自分で考えてみた結果、言えることは一つ確かにあると感じた。結論を言ってしまうと、以下の一言に集約される。
・実際に行動しないと問題は解決できない
何を当たり前のことを吐かすのかと思うだろう。しかしこれは真理とまではいかないまでも、本質の表面を掠ってはいるのではないかと思う。
問題に出会う段階でも、おそらく多くの人間は具体的な行動を取っているときに問題に出会すだろう。そういう意味でも、問題は実際に行動している人に特有の現象だと思う。
問題を解決するのに必要なことは、まず第一には「問題の認識」だろうと思う。何が問題なのかわからないとアプローチのしようがない。問題が認識できていなければ、そもそも解決方法を模索することだってできないのだから。
実際に行動するという言葉自体も抽象的でふわふわしているから、ここでは数学の問題を手に取って例として挙げよう。
数学書を開いて演習問題を解く段になった時、そこで問題に出会う。貴方はここで気づく。「問題が出されている」と。これは具体的に数学書に取り組んでいたからこそ出会えたものだと思える。
次の段階は、問題の言語化である。問題があると分かっても、それを自分の中で再現が取れなければアプローチを確定できない。言語化は自分の中での再現をとる方法である。問題の言語化をして、初めて解決に取り組めるものだと思う。
これも具体的な行動の一つである。問題解決のための行動の一つである。
数学では最初から問題を言語化してくれているので取り組み易い。
日常生活では、例えばこのように言語化するかもしれない。
「朝に起きられない」「集中力が続かない」などなど。
問題は大凡ある種の不快感として受け取られ、その不快感の正体を言語化することで浮き彫りにする。この不快感は困りとも取れる。
そうしたら次は問題解決の方針を立てることになる。解決するためには方向を定めなければ歩き出せないからである。
先の日常の例を取れば、このようになる。
「朝起きるために目覚ましをセットする」「集中しているときの環境を自覚する」などなど。
このようにした後、実践が始まる。ここまで挙げた問題解決のプロセスだって、実は具体的実践の積み重ねなのである。言語化も方針立ても、実際にやらなければ、何もならないからである。
まとめると、問題解決のためにはそれぞれが「具体的な方法」でもって解決に進まなければならないことがわかる。それは言語化かもしれないし実践かもしれないし方針立てかもしれない。どれも自分がやらなければどうにもならない事柄である。
次にブログを書くときは、それらの実践をどのようにするとスムーズに実行に移せるかを論じたいと思う。
今回は、それぞれのプロセスが自律的な行動に基づいて為されていることを強調して終わろうと思う。