ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

自殺未遂した。生きてる。

表題の通り。久しぶりに書いた日記が公開の上に2週間以上も間が空いているとなんとなく書く言葉にぎこちなさが出るような気がしている。選ばれる言葉たちががくがくしているように、自分では感じる。

以下に記すのは本音と実感とを、それらをなるべく時系列順に記したものであるので、読みにくいだろうし、読んでいてあなた方が怒りを覚えるかもしれない記述が多々ある。
「『心配していたのに何様だ』と思うだろう」と私の健常者エミュレータが何回か作動したため、多分キレる人はいると思う。
それを注意して読んでください。キレてもいいですが、どうかここのコメントの中だけにしてください。


4月の終わり、どうやら私の中の誰かにとってこの世の全てが無理になって、持っている薬とサプリの全てをガッと一気飲みして、思い出深い津田沼の某所で逝こうとしたところ、倒れたあたりで記憶が飛んだようだった。
この辺りで成功したと思ったようだ。白い光の中にだれかが呼ぶ声がしていたが、それがあの世なのだとか思っていた。そんなことはなく、きっとただの救急隊員の声だったはずだ。
そのまま医療センターへ運び込まれた。自分は佐倉市住みなのだが、佐倉市でない自治体の医療センターだった。

私は解離性同一性障害、いわゆる多重人格障害を患っている。小説やドラマでも見たことがある人はいるだろう。アレだ。
8つほどもある人格どものその中でひときわ厄介な奴がおり、自殺人格と呼んでいる人格が以上の事件を引き起こしたようだった。今の奴はひとまず鳴りを潜めている。管理者を名乗る人格が筆記で言うには「寝ている」そうだ。
なお、私は他人格との脳内でのやり取りは出来ず、管理者が各人格とのやりとりを脳内でやっているらしい。
上記の自殺未遂含む経験は自分の主観ではあるというのに、なんというか、ゲームのリプレイを見ているようで実感がなかった。
「あぁ、死のうとして、死ぬんだ」とぼんやり思っただけだった。

自殺人格は入院中にも悪さをして、看護師曰く「暴れた」のだそうだった。
その後、私が「聡明な少女」と呼ぶ人格が現れ、看護師に拘束具を外すよう言葉をまくし立てて迫ったというのもあったようだった。看護師に挑発と愚弄を繰り返し、10人前後の看護師が私に構うというとんでもない事態になっていたようだった。

彼女は私が認識している中で頼り甲斐がありながらも自殺人格と同等程度に厄介な存在である。
私の勉強成果を彼女はどんどんと横から掠め取っていくのだ。
ノートに記し、学んだはずの記憶がすっかり抜け落ちる(復習不足で記憶が薄れるのとはわけが違う)と思うと、彼女が作ったTwitterアカウントでその知識を開陳してはフォロワーと学識を深め合っているというのが何度も何度もあった。
しかも彼女の方が勉強の効率が良く、議論の仕方が上手く、感情を高ぶらせることがなく、(自分で自分を褒めるようにも見えてこの表現は実に癇に障るが)人格者であり、私の頭痛の種である。
正直こいつには嫉妬する。憎みもする。目の上のたんこぶとはこのことである。
自分なのに自分より勉強ができる。院試も彼女に受けて欲しい。というか彼女をなんとかしないと院試勉強が全部吸われていく。

話が逸れた。

記憶のどこかで「あなた方が私を拘束する理由はありません」だとか「この行為は人権蹂躙であり、直ちに辞めなければ法的措置に出る」だとか「私が暴れたという客観的証拠を提出せよ」だとか言っている誰かの声が聞こえた気がするが、多分彼女なのだろう。

そんなこんなで入院1日目の深夜は終了した。
恥辱的だったのはパンツを脱がされてオムツをはかされたことだった。あれは本当に恥辱の極みだった。

2日目。自殺未遂事件の深刻さを、心の実質を伴って感ぜられたのはこの日だった。
確かTwitterで呟いたなぁと呑気に思っていた。呑気過ぎていた。そのつぶやきの反応は自分の想像を超えていた。
今でもこればかりは反省しているし、2度と同じことを繰り返さないように精神の管理と自律に努めたいと思った。
他人格とはいえ肉体は私のものなのだし、それで他人の心配事を増やすようなことはあってはならない。
表現が見つからないため言葉が大げさかもしれないが、私のやったことは公共の精神環境汚染である。だから反省している。
だとすると、呟かずに自殺すればいいのかなと思ったが、多分そういうわけでもなさそうだ。

父親は「警察から『あなたの息子さんが自殺を図った』という旨の連絡があった」と息を切らしてまくし立てた。
後から確認したが、5人ものフォロワーさんが各々のルートを経て私の個人情報を入手し、その上でTwitterのフォームから通報するなり自ら警察に通報するなりしてくださったらしい。
まず自分じゃない人間のために諸行為をする行動力がすごいと思ったし(失礼な話、実際目を見開いて息を呑み、『マジか、この人たちヤバイ、すごい』と何回も声に出して驚いた)、また別の気持ちでは「こんな簡単に個人情報は獲得されてしまうのか」と感心のような危機感のようなものを覚えた。
まぁ、今更本名程度知られたところでガタガタ言っても仕方ないのだが。クレカ番号は知られていないようなので安心した。まあ知られても止められてるからあんま痛くないんだけど。いやいや、また話が逸れた。

父親から携帯とiPadを渡され、各人に簡単な謝罪と感謝を述べた。それが最初の生存確認ツイートのことである。
この時に携帯に連絡が入っていたのは高校時代の親友で、優秀な数学のプレイヤー(数学者ではないし数学科生でもないため適切な言葉が見つからなかったのでこう表現する)の彼だった。
「自殺するという書き込みを見て心配になった」「生きててよかった」と言われ、確かにDMで「連絡をください」と書かれているのを見た。
次に目に入ったDMは、今の大学でお世話になっている先生からのものだった。直ぐに連絡をくださいとあり、無事な旨報告した。他にもあらゆる人々からの心配の声が届き、胸が痛んだのを覚えている。本当に申し訳ありませんでした。

次いでSSを投稿している自スレに無事な旨報告した。このスレの人たちにも心配をさせてしまったので、やはり申し訳なく思った。反応やそれに対応するにつれて、自分がいかに罪深いことをしでかしたのか実感した。
同時に何かしらを理由に必要とされていることを誇らしく、同時に苦しく思った。
必要とされることは自分に何かしらの価値が生まれることでもありながら同時に自分を縛る鎖であるからである。
思い上がりかつ大げさであることを承知で言うなら、「誰かは私がいないとならない」と言うことである。
代替品でありたくないと思いながら縛られるのが嫌な自分は、この事実を実感した時にはなんともいえない渋い気持ちになった。
かと言って見放されたいわけでもないので、我ながらくそ面倒臭い感情だなと思っている。
近いうちにこの感情に対して答えを用意しないといけないと思った。
この感情の理由と意味を解決したら何か前進しそうな気がするからだ。

簡単な生存確認を表明してから電子機器類の全てをまた父親に返し、私の入院ライフが始まった。
拘束具はこの時には外れていた。

入院食。これがまたなんともうまかった。「文脈のない濃い味」がわりと嫌いな私にとって入院食の味の薄さ(それでもシャケはえづくほどしょっぱくてつらかった)は救いで、それだけでも何かが癒されるような心持ちがした。
味がほとんどしない漬物とか神かよ。開発した人間えらい。
しかし量が死ぬほど少ない。毛はよく食べるタイプなので、それは不満だった。食事はいづれも4分もかからなかった。仕方がないのだけども。

部屋は5人部屋だった。途中で配置換えがあったんだけど、配置換えの後の向かいのおっさんがうるさくてつらかった。ナースコールを押せばいいのに「おぉい!」「えぁぁああ!」「しゃあああ!」みたいなスマブラのリンクみたいな叫び声を発するのである。
父親が置いていった耳栓が大活躍した。途中何回か奴と目があって、私に対して指をさして何かパクパクと物申していたが、聞こえなかったので特に気にしていない。

トイレ。暴れる人間の烙印を押されていたため、ナースコールで看護師を1人以上つけないとトイレに行かせてもらえなかった。点滴で常時液体を体の中にぶち込まれるため尿意は絶えることがなく、つらくなることが多々あった。
「尿瓶でやれ」と言われることもあり、「は?」ってなったのがあった。普通にトイレに行った。
オムツはなぜか私に対してサイズが異様に小さくて、常時ブツがはみ出る状態だったのでオムツが意味を成さなかった。ブツがはみ出るのがデフォなの?と問い糾したくなるほどに常時ブツがはみ出ていた。
オムツをしているのにトイレに行くことに関して自分以外誰も疑問に思っていなかったのが今にして思うと不気味であった。
「なんでオムツをしているのにトイレできるんだ?」って疑問に思わなかったのだろうか。それともあの空間にいたオムツ者は全員ブツをはみ出させていたのだろうか。草。
オムツは3日目に外され、父親が置いて行った自分のパンツに履き替えた。
パンツはいいぞ。楽だ。

娯楽。当然ながらゼロなので、瞑想していた。意識を息に移し、今吸っているぞ、今吐いているぞ、と認識を全て呼吸に持って行くのだ。まだ点滴で鎮静剤が刺されていたため眠りに移行してしまうことが多くなったが、それでも何もしないよりはマシだった。
退院した今瞑想すると、なんと8分もつほどに成長していた。私はADHDかつASD者なので集中力の持たせ方が健常者に比べて下手である。瞑想できる時間は大体1分だったのだが、8分になったので成長した。

退院。色々ゴタゴタがあって退院の手続きは手間がかかったが、退院できた。
父方の祖父母に面倒を見てもらうことになり、4日目か5日目にiPadが手元に戻ってきた時に最後の謝罪ツイートを行なった。

で、今に至る。今は自宅で解析と代数の勉強をしたり、圏論したり、SSを書いたりしている。例の少女が成果と知識を掠め取っていくのを抜きにすれば、なかなか健康的な暮らしになっていると思う。
この健康は、自分以外の他人に支えられていたものだったのだと思うと、やはり感謝の念は生まれてくるものである。


ありがとうございました。誘拐の方のSSですが、来週には投下でき、完結すると思います。

では。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。