ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

なりきりという私の半生と解離性同一性障害(DID)について

私というものと、なりきりというものと、DIDというものは不可分に結びついているように感じられる。

というのも、私が半生でやってきた営み、創作において、なりきりをやっている影でDIDが影響していたからである。

遠く昔のごっこ遊びからなりきりは始まった。マリオのヨッシーが好きで、それになりきって遊んでいた。幼稚園の頃、DIDの症状としては「いきなり大人の言葉で捲し立てて友達を泣かせた」があった。これは、母親からの伝聞である。

小学生になってパソコンを得てからは、文字の上でなりきることを好んだ。そのキャラになりきって、会話をすることを好んだ。小学生の頃のDIDの症状としては「覚えのないことで怒られる」「小学1年の頃の(身に覚えのない)出来事で小学3年の頃に怒られる」ということがあった。いずれも自分にとっては理不尽に映っている。

中学生の半ばになってから、本格的にキャラクターを立ててなりきるようになった。中学生の頃のDIDの症状としては「後ろに誰もいないはずなのに付け回されているように感じる」「知らない誰かと友達になっているような感覚がある」があった。これらはより後の大学生になって、DIDの症状であることを知らされた。

高校生ではリアルが充実していたので、そのようになりきりをすることを好まなくなっていた。高校生の頃のDIDの症状は、覚えている限りでは、存在しない。

浪人生になって、またリアルが荒れてきたのでなりきりに逃げた。その頃友達になったのが、Sさんである。同じ予備校に通って、同じ予備校で勉強して、数学を教えあったりして過ごしていた。中学時代のなりきり掲示板に顔を出していた常連さんであることも発覚して、それはそれは話が盛り上がったことを覚えている。

第一志望にまた落ちて、滑り止めで受かった大学に通うようになって、学業が忙しくなり、Sさんとその他3人の友人とは疎遠になる。年一で会って現状確認などはしていたけれど、浪人時代みたいに密に過ごすことはなくなっていった。

大学3年の頃に体調と精神を崩し、一回目の精神科にかかるようになった。そこでは私のことは「ADHD」であると診断が降った。そうなのか、と思いながら、学業を下手なりにこなしていく。

大学4年の夏頃、母が体調を崩して入院した。その頃から当時は「現象」と呼んでいたとあることが起きるようになっていた。「電車に乗っていたのにいつの間にか早稲田大学(ゼミ先の大学)にいる」「外を歩いていたはずなのにいつの間にか入浴している」などなど。この頃から、DIDの自覚症状は発揮されていたのだと今では思う。

そして大学4年の1月3日。母が亡くなった。ここから明らかに精神の調子がおかしくなり、買った覚えのない本や髪飾りなどが部屋に現れるようになっていった。「現象」もちぐはぐになり、風呂から上がったままの格好で公園に出没するなど、明らかに生活に支障が出るようになっていった。

二回目の精神科にかかる決心をした。そこで診断されたのは「解離性同一性障害」だった。

「別人格いますか?」と単刀直入に聞かれたのを今でも覚えている。

二回目の大学4年生、ボードゲームの友人ができた。その友人と交流しつつ、いろいろなことを気にかけ、これまでの人生を整理していた。

三回目の精神科。母が亡くなった病院の精神科である。「治療を続けていきましょう」とのことだった。

人生を整理している最中で、不思議なことが起きた。

Sさんの痕跡が自分の生活の中にあったのである。Sさんは同じ県内出身であったけれども、さすがにこんな近場で会えるような距離には住んでいなかった「はず」なのである。

それどころか、KさんTさんGさんの3人の痕跡も「ある」。

この頃はそれに蓋をして、しばらく放置してしまったのを覚えている。

大学を卒業して、一社目の会社に入社する。この頃はDIDを自覚できていて、ある程度コントロールも効いていた。

そしてやがてダメになり、退社する。

そこからの記憶は、目立ったものではあまりない。強いていうなら主人格交代が起きたくらいである。

その後のどこかで、Sさんたちは私の一部であるということを認識するのだけれど、そこからどのようにして今のいわゆる「予備校組」が結成されたのかは、わからないままである。

そのようにして、今の私は在る。未来はまだわからない。

 

2020/8/18 15:03追記

今思い出した。母親が亡くなった2017年1月3日前後に「線」が自覚されたのを思い出した。

彼女は当時は「聡明な少女」として名前を与えられていたのを覚えている。

私のわずかな数学知識を掠め取っては自分のものにし、数学をいきいきとやっていたのを覚えている。今でも彼女は数学に強い。

そして2018年の2月には「狐」が自覚されたのを思い出した。彼女は政治が得意で、人を動かすのに長けていた。それまではずっと「自殺人格」だったのを覚えている。かなり抑圧されてきた人格で、この後2019年1月に「蜂起」することになる。それを経て、今は通常の人格に格上げされている。

2019年4月では私はまた改めてなりきり界隈にジョインしようとしていたらしい。当時世間を賑わせつつあった「アライさん界隈」である。そこに入ろうとして作ったアカウントが私の自覚から分離されたのがあったらしい。そこで生まれたのが「手」である。危機管理能力担当で、危ないことをしようとすると止めてくれる人格に今はなっている。

さらに時を経て2020年1月には私の憧れるキャラクターである「美国織莉子」を模したアカウントが発生。自覚を振り回して色々とやっているようになった。彼女にも人格名が与えられて「夢」を名乗っている。今では管理者の一人らしい。

 

……これくらいだろうか。また思い出したら書きたい。