ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

最近のモヤモヤが言語化できなくて苦戦している話

さっきはあんな偉そうなことつらつらと書いたけれど、実は今までで一番私が考えを言語化できてないっていう事案が発生しててすごくつらみなんですよね。

テキストベースで考えるというのは言葉だけで考えるということに他ならなくて、言語化が得意な私にとっては本当に独擅場とも言うべき場所なのにそれがうまく発揮できてなくて悲しい。

最近ずっとモヤモヤしている。ポーカーも振るわないし数学も振るわない。頑張ればできると思っても、勝手に思いついた単語、ふらっと思いついた単語に引きずられてそこから言葉を紡ぐから思った通りの言語化にならない。ズレが生じる。

多分一昨々日に言われた「手段と目的を取り違えている」というのが想像以上に私の不出来を説明しちゃってたから、それで凹んだんじゃないかと思ってる。凹むだけじゃなくてきちんと自分で見つめて、その不出来な部分を言語化して意識するようにしないといけないんだけれど。このままだと多分凹むだけ凹んで、時間が解決してしまったらそのまま忘れて何も変わってないじゃん、になる。それだけは避けたい。だから今受けているこの苦しみは成長に必要な苦しみなんだということで受け止めていきたい。

 

でも苦しいものは苦しい_(┐「ε:)_ 

私ができることはなんだろうか。言葉にすることと、言葉を粛々と語ることのみだ。

私は何がいけなかったんだろうか。それは目的と手段の取り違えである。今まではポーカーでは楽しむことを目的としていて、勝つことを目的にしていなかった。参加できればいいや、で参加していた。だから参加率も高めだったし、そのせいでハンドレンジもガバガバだった。それを読まれてごっそり持ってかれてたし、甘い判断を厳しくする必要がある。さもなくば、相手のアクションの意味を考えて、相手のレンジを絞ることを考える必要がある。後者でいきたい。やっぱりポーカーは参加してなんぼだと思ってるから、参加はしたい。タイトは私に合わない。

数学では、学んだ事柄をどこに活かせるか、どんな証明で使えるか、というのを考えていく必要がある。そのためには色々な定理を知って、その証明を読み込んでいく必要がある。この定理はどんな性質が要るのか?どんな技術で証明する必要があるのか?というのを具に常に考えないと追いつかない。

二つの事柄だけで今まで以上に考えなくてはいけない事象が増えていく。私に耐えられるだろうか。耐えなくては、ずっと凹んだままで、解決しない。