ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

【発達障害編】困りごとの羅列

発達障害特性を把握していないとカウンセラから言われて2ヶ月ほど経つ。ここでは自分の困りごとを並べていって、それについてさらに御託を並べようと思う。実際に働いてみないとわからないこともあると思うので、その点については推測だけに留める。本当は就労移行支援に行ったほうがいいんだけどね……でも行けてないので、独自で困りを見つめていくしかない。

障害特性は文字通り日常生活における任務の遂行度合いが障害されることで初めて目に見えてくる。何ができない、何ができる、というものだ。だから本当は就労移行支援に通って模擬仕事をやっていくことでわかりを得ていくのだが、それができないので想像だけで補うしかない。

果たして「困り」は千差万別である。同じ障害名だからといって、同じことで困っているとは限らない。私は他人の感情が読めないことで困っているが、逆に読めすぎて身動きが取れず困ってしまっている方もいらっしゃることだろう。

発達障害の「困り」はまさにここにあって、万人に効く処方がないのが実情である。そのままでは全く目に見えないからこそ、実際にやってみるまでわからないのである。処方はオーダーメイド。そこで必要になってくるのが自分への理解である。それが発達障害のつらいところである。困ってみないとわからない上に、困りが見えてこないこともあったり、困っていても自覚して言語化できない人もいる。

話は逸れるがここに「周りを困らせている人が実は自分も困っている人」というカラクリがあるのだと思う。自覚と言語化の話は、なかなか難しい位置にあると思う。「自分が困っている」という自覚がまずなければ、障害特性の言語化は難しいだろう。発達障害が大部分隠れていたり、見つけられなかったりするのは、こういうところにも原因がありそうだと感じる。

 

・集中のムラがある

過集中の時はいくらでもできるのに、それがないと全然物事に集中できず、作業効率がバラつく。集中できないダメな時はどうしたらいいのか、まだわからない。気を逸らして別のことをやるのがいいのか、休んでしまうのがいいのか、わからない。

集中が続かない時は、続く限りで物事をやるというのをやってみても、やはり途中で限界が来る。細切れになった作業は進捗にプラスの影響をもたらしはしない。課題であると感じるところである。

 

・人の気持ちがわからない

文字だけでやりとりする機会が多いからこその困りである可能性はある。文字は情報を極限まで捨てているからである。かといって肉声のやりとりでも、そこまで情報を感じ取れるかと言われると微妙で、いつの間にか怒らせているということがある。避けたいが、避けると今度はコミュニケーション不足になって意思の疎通ができなくなる。難しいと感じている。

怒らせることがないように振る舞いたい、そう感じている。今度はうまく行かせるようにしたい。失敗の連続だから。

 

・日常生活の変化の起伏が乏しい

ほとんど誰しもにもあると思われるが、私に限って言うと、ニートになってから生活の変化が乏しくなった。何もしていないし、勉強してもあまり続いていない。プログラミングをやらなきゃ、数学をやらなきゃ、そう思っていつの間にか1日が終わっている。勉強はしているはずだったが、いつの間にかあまりやらなくなってしまった。怠惰に無駄に日々を過ごしている。こういう日々から脱出したい。この日記もその抵抗の一つであることは否定できない。

 

・自分の困りが正確にはわからない

外部からの刺激を伴うことでわかりを得るタイプだから、刺激がない環境がよろしくないのだと思う。就労移行支援に通えたら、どれだけいいのか……。

 

尻切れとんぼになってしまったが、書けることは書いたと思う。

あとは自分の行動次第、だと思うけれど、どれだけ行動できるのやら。