ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

「共感」と自分に欠けているものについて

賢い人、賢くない人の特徴。IQ、学力、知識を束ねるのは性格(感情)。
http://lscharlie.exblog.jp/24779643/

これを読んでパァーッと光が射した気がした。今の私を勘違いさせるに十分な文章だ。実際これを読んで舞い上がって気取ったツイートを何本も投げてしまった(笑)
なーんてヘラヘラ思ってたけど、感覚から全面的に同意なので紹介する。自分の不完全さ、どこがどう不完全なのか、答え合わせのようにプカプカ浮かんできたので、しめた!と思った。もちろん彼の記事こそが全てではないのは承知だ。
全ての事象は全て何かの一部ということを忘れちゃいけない。独立な事象は数学の中でだけ考えろ。話が逸れた。

さて。実際私には共感能力が欠けているから、どうすれば共感できるか、ということの大きなヒントになりそうだと考えたのですよ。
実際できるかどうかはわからん。新たなトライアンドエラーをしないことにはその方法が自分に適しているかどうかなんてのはわからないからね。
しかし考えることはできても実践するのは時間もかかる。うん。
はい。それはそれとして、賢さとは何か、から論じているのが大変興味深かったので紹介します。

チャーリー氏の主張は感情が賢さを支配する。自分がどうするべきなのか、どう求められているのかは、まず自分が世界という盤面に乗せられていることを自覚し受け入れること。そういった自分を認識するところ(彼は座標を定めると言っていた)ことから始めるべきだと言う。
そう云う話っぽい。(果たして本当にそうであるべきなのかどうかは端に置いておくとして)

誤読覚悟の要約をすると「自分の上手く行ってなさを環境のせいにするのは『意固地』や『頑固』に代表される精神状態に起因する""自分の動かなさ""にある」と言う。そしてその「動かなさ」とは、自分を優位に、高位に立たせようとする虚栄心、見栄なのだと言う。

その通りだと思うけど、私はここだけ因果が逆ちゃうんかなーって思った。あるいは見方が彼と違うだけで似たようなものを見てるのかも知らん。
世界の盤上にあることを自覚しない意識主体がその場を認識せず、動かないからこそ「虚栄心」や「見栄」などの反応としての感情が発生するのではないかと私は考えた。
私が意地になったりすることはあんま(自覚が)ないので、感情の経験から状態を逆算するのが厳しいんだけど、多分そんな感じなんじゃないかなと思ってる。

特に目をひいたのが

<引用>「賢さ」は己を知ることから始まる。
そして、相手から自分に何が求められているのかを知ることに終始する。
それをうまく取りまとめ、自己消化させる際に、性格(感情)に大きく左右される。
一言で言えば、客観的に需要と供給を理解することだ。</引用>

これ。

これを完全に受け入れちゃうと私ってば全然賢くないってことになるんだよな(笑)
「相手から自分に何を求められているか」、っていうのは多分、組織の中の自分の役割とか、もっとゆるい感じのグループで自分がどういう立ち振る舞いをすると上手くいくのか、ってのにもっともっと具体化ないし限定化されると思うんだけど、私はこれらのことが全然上手くできないんだ。
そして今の私は自分ですら自分でないから、己を知ることという行為の結果が『自分が自分でない』くらいの情報しかない(無知の知かよ)。あるいは「こういう病気を持っている(あくまで『標準的精神のあり方からこれだけ逸脱しているよ』という状態に名前をつけたものを第三者からお墨付きとしてをもらった)」
「こういう経験があるという記憶(それも完全を保証できるものではない)」という本当にプリミティヴな自己認識の範囲内(それですらも全域的ではない)でしかない。

だから取りまとめる『わたし』が居ないし、その前に求められていることを知ることもできない。
なるほど、だから私は『何を求められているのか自己消化ができない』から『恰も感情に左右されないように見えてる(見られてる)』んだな、と納得した。これには異常なまでのすごい納得感があり、胸がスッとする気分になった。
ここまで読んで「何が欠けてるか冷静に考えればすぐわかるだろ」というツッコミは無しでお願いします。

話は変わり、「インターネットで自分の内面をボコボコにされてかわいそう」「あんな暴言受けてよく平気だね」「俺ならああ言われたら寝込む」という私に対する言及を匿名非匿名問わず寄せられることがここ最近多いが、周りがそう見ているのはおそらく私が「共感能力がない」からであり、そこから「他人の感情を読み取ることができない」からなのだろうが、これに加えて「自分の無さ」もこれに拍車をかける決定的な欠陥になっていると思うに至った。
自分がないのってかなり致命的だと思う。どう致命的なのかは上の通り。
上の説が『完全に正しく磐石で揺らがないもの』だったら、の話だけどね。
そこまで行かなくても、自分の中ではなんとなく「まあまあヤバイんちゃう」みたいに感じたりはするけど。
それはそれとして、現状の「自分の無さ」は自分の中ではあんまり問題視していない。まあいいや話が逸れた。

逆に考えればこれって「何言われても何とも思わない」から自分の精神を守る最強の盾になるんじゃね?とか考えたけど、人間は一個体で完結できる存在ではないし、なれば、個体の集まりである社会という中で生きねばならず、そうなった以上共感能力は必須なので、それをどうにかして身につけたいと思ったのですな。
別に私が傷つくとか悲しみにくれる、怒る、喜ぶ、笑う、泣くといった現象は社会にとって完全にどうでもいいことなので、それだったら私が社会に資するであろう能力を身につける方が良いと考える。利他的というか、こうあった方が合理的だ、という私の独断だ。
身につけた結果他人の言葉に感情が激しく左右されるようになるかどうか保証はないし、そうなったとしても自分の感情や自尊心を守る手段なんかきっとごまんとある。
根拠のない自信を持った人や、自分を褒めることに長けてどんな批判も侮辱も人権侵害もどこ吹く風な人なんてたくさんいる。政治家とか芸能人とかね。あの人たちはすごい。

でもどうやったら「共感」できるのか難しいんだよなぁ。
考えて見てほしい。みんな忘れがちだけど、「私ってあなたの脳をもってない」し、逆に「あなたも私の脳を持ってない」し、その上「脳の中の神経細胞の繋がり方が同一個体の中でさえ全時的に同じではない」から絶対に無理なんだよね。
100%可能だって言えますか?「同じ人間なんだから脳の構造も考えることも同じ」なんてことは流石に言わないでしょ。
でも実際に「共感」や「同調」を理由とする現象などは存在し、人間個体の「集まりを形成している」のは実際に見ている。そしてそれを見て私は「スゲーなぁ」と思っているわけだけども。ほんと、みんなどうやって共感してんの。くれよその能力orz


さてここからこれからの私が共感能力を培っていくのに必要な事柄を拾っていきたい。
彼のブログはIQのことを軸に色々と論を展開していく傾向があるので、私もその流れに乗って次に進めてみる。

<引用>
ある能力が高い人は、その能力が低い人の存在によって「高い」と支えてもらっていて、その反対
に、ある能力においては自分が支える側にいるということでもある。何も不公平ではない。
</引用>

(多分みんな知ってると思うけど私は知識をひけらかすのが死ぬほど大好きなのであえて説明すると)IQってのは何かっつーと、脳の何らかに対する処理能力の良し悪しをある基準で測って、脳の力を測る物差しのうちの一つって捉えて貰えば良くて、それは100を平均として高い低いに分けられるんですよ。
ってことは自分がどこにいるか(IQいくつなのか)の指標は『母集団』がなけりゃ話にならないわけです。

何が言いたいかわかってきた。
つまり私のいうところの『盤面』を知らないといけないということなんです。
自分の置かれてる状況、例えば社会的地位(学生である)とか、どこに暮らしているとか。
どんな人間が周りにいるか?その人間個体は自分に対してどうアプローチしてくるか?とか。
これを把握して、自分の相対的な位置を(完璧な客観なんてものは存在しないのでなるべく完璧に近い)客観的に俯瞰することが必要なんだと。

盤面がわからないから動けなくて、結果的に意固地に見えちゃったり頑固に見えちゃったりするんだなぁ、と、彼の記事を読んで思ったのでした。

共感の第一歩は、まずは自分とその周りを知ることだ。
でも周りを知るには共感の能力が必要で……

あれ?話が元に戻ってきちゃったかな?(笑)

ここではもう語らないけど、彼の記事の中でもう一つ面白いのがあったので紹介して終わりにします。

知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない?
http://lscharlie.exblog.jp/24447775/

これも誤読覚悟で要約すると「思い込みを排して疑ってみよう」ってのと「疑うのは相手や他人、彼らの主張だけでなく、自分の意見や立ち位置、自分の属する母集団をも疑ってみよう」という主張になっている。


どうでもいいけどブログ内で引用ってどうやればできるんですかね?