ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

DIDについて

今日のお題はDID(解離性同一性障害)についてです。私や私のきょうだいと仲の良い方は既にご存知と思われますが、中には知り合ったばかりで違和感を持たれている方も多くいらっしゃると感じたので投稿するに至りました。今回はこの障害の当事者としての見解と要望、私たちの場合のDIDを少し述べたいと思います。

DIDとは何か

解離性障害の最重度のものとされ、複数の明らかに異なる同一性(人格)の発露を認める状態とされています。旧名は多重人格障害とも呼ばれていました。ある文化圏では憑依体験として説明されることもこれに含まれるようです。

同一肉体の人間の中に、複数の明らかに違った性格を持つ人格がいるという状態は、外から見るとチグハグな行動に見えたり、言動の一貫性が明らかに異なったりなどで映るようです。

私たちの場合では「髭」が社交的な性格なのに対し、私「毛」は内向的であまり積極的に外部への交流を求めないなどの違いがあり、それがTwitterなどで発露され、違和感を持たれることに繋がったりするようです。また得意なことも異なり、私は言語を操作することが得意ですが「腕」はそうでなかったりなど、できることも違います。

DIDに至る多くの原因には幼少期に受けた重大なストレスがあると挙げられています。近親者からの性的、物理的、情緒的な虐待があると、小児は人格の形成に失敗し「逃避」をする結果に至ります。この逃避の実際は、感情や感覚、知覚を自分から切り離すという行為を伴います。結果として健常者が「一人の自分」の中に収めることができたさまざまな感情や経験を失ってしまうということになるのです。これは通常では説明のつかない健忘や記憶の欠損として表に現れます。薬物やアルコールなどでの一時的な健忘とは訳が違う、そう説明されます。

私たちのケースで言えば、私たちは幼稚園に上がる前から中学校にかけて、過酷かつ陰険ないじめに遭遇してきました。当時は全くきょうだいの自覚はありませんでしたが、それぞれの過去の記憶を参照してみると、髭が反逆したり、狐が泣いたり、梟が自殺を試みたり、私が言葉で詰り返したり、色々なことがあったようでした。

DIDの症状は発達障害と同様に個体差が大きいです。私たちの場合は、とりわけ私毛の目線での説明になりますが、自分という肉体が行った行動であるのにもかかわらず自分の記憶にはないことがある、頭の中で明らかなる自分以外の人間が会話を行なっている、などが挙げられます。今では連絡手段ですが、私たち個人の用いる日記帳に筆跡の違う文字で私の経験していない事柄が書かれるなどしていました。一般的な(?)DID患者の症状では、自分の体が変わったように感じたり、視覚や聴覚をはじめとする五感が変わったりするようです。

DIDの診断は当然医師によってなされます。幻覚の症状があるため、統合失調症やその他の精神障害と誤診されるケースも多いようです。そのためDID診断専用のテストを行い、他の精神障害の可能性をなるべく排除した上で診断をするようです。また、残念ながら詐病の方もいらっしゃるようです。そういう方はこの障害を持っていることを楽しんでいるように見受けられる、という話がありました。診断は困難を極めるため、私の立場としては、詐病としていたものが実際のDIDだったというケースもあると思っています。

私たちのケース

私たちのケースは、(通常はいけないことですが)複数の医院にかかったところ、幼稚園年中頃には発露されていたとみるのが適切なようでした。亡き母親からのエピソードで強烈に印象に残っているのは、泣いていると思ったらいきなり泣き止んで、大人の言葉で周囲の児童を捲し立て、泣かせたというエピソードを幼稚園の先生から聞いたというエピソードでした。このエピソードが参考になるかと思い、医師に伝えたところ、間違いなく当時から解離が始まっていたということです。加えて、小学校二年生の頃、小一の頃に級友が作成した図工の作品を壊して捨てたという咎で怒られたことがありました。これは私自身に全く身に覚えがなく、どうして怒られているのかわからずに泣いていたということがありました。これも解離のエピソードだというのです。

私たちの症状は、通常記憶の断絶と(私たち独自の言葉ですが)文脈の消失によって説明がつきます。その断絶を日記や各きょうだいが所有しているアカウントを集めたグループDMによって補完するということを為しています。脈絡のない場所にいる、脈絡のないものが家にある、などなど、そういう事柄の理由は大抵日記に書いてあるので安心ができます。

また、私たちは、各きょうだいそれぞれが得意分野を有しているという特徴が挙げられます。「線」(旧名「聡明な少女」)は数学が私たちの誰よりも得意で「崖」は各きょうだいを癒す、精神的蟠りを解きほぐすことが上手、舌が鋭敏で飲み物に詳しいという特徴がそれぞれあります。私は言語を操るのが得意で、思ったことをブログに書き留めるのが得意という得意分野があります。また喋るのが好きで、演説や説明などをするのが上手と自認しています。

私たちに接する上でどうして欲しいか

私たちは残念ながらというべきか幸福にもというべきか、27人各人各様の形態をとっており、その同一性の差異は他者から見て顕著と言わざるを得ないようです。ですから、私が考えるにみなさんが接する場合に念頭に置いて欲しいのは「各人格に接する際にはそれぞれ別人として扱ってくれるとスムーズに意思疎通が取りやすい」という事です。「各人格の統一が望ましい」とする治療の精神に逆らいますが、今医師から「人格の統合が難しい」と言われてしまっている以上、各人格の思惑だけでも統一するという観点に立脚すると、みなさんからは「別人のように接していただく」よりほかないと思っています。交代も頻回で、どうなっているかわからないと思う方もいらっしゃると思いますが、もし仲良くなりたいと思ってくださる方が少しでもいらっしゃるのなら、その方針をどうか採用してくださることを切に願って止みません。

また、私毛に関して申し上げるのであれば、私という人格は最重度のADHDASDを併発している人格です。ですから情緒的なやり取りは難しい事があります。加えて私は「書いてないことを読み取る」のが難しい性格です。これは「書いてないことを読み取らない」という訓練を行なった弊害でもあるのですが、とにかく隠された意図を汲み取るのが非常に難しい。ですから、お手数ではあるのですが、私に何かを伝えたいときは「思っていること、考えていることを全て言語化」して欲しいのです。かなり大変な作業であることは私自身承知しています。ですから、無理にとは言いません。なるべく言葉にして伝えてくださると助かります。

 

これで私たちの説明、ないしは要望は、一旦は以上となります。