ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

人生から逃げてきたことのツケ

ご存知の通り、私はDIDを患っています。その関係で、人生がチグハグになりました。27(+α)等分された人生を歩んでいく中で、いろんなことがありました。

私はかつてその中でも人生の主役であるところの主人格を担っていました。とは言っても何も特別なことはなく、言語能力を(無意識に)生かして各人格間の情報のやり取りを補佐していたのでした。他には「他人格の脳内音声が聞こえない」「他の人格のやり取りが見えない」という障害がありました。その障害が私を主人格足らしめているところがありました。

ある時、他の人格の様子が見えるようになりました。そこから日が経ってしばらくした頃、他の人格が人生をやっているのも見えるようになりました。

髭でした。愕然としました。髭であることが衝撃だったのではありません。髭が「人生をうまくやっている」のを見るのが衝撃だったのです。私よりも上手く人間関係をやり、私が私の恋人と付き合うよりも上手く彼の恋人と付き合っている。そういう場面を見ると、自分に自信がなくなったのです。

もともと私はコンプレックスが強い方です。仲間外れや疎外感に敏感で、それを感じ取るのが誰よりも嫌な性格でした。

ですから、その様子を見て私は「お前はもういらない」と言われているように感じてしまったのでした。それはおそらく間違いですし、私の恋人にも申し訳ないのですが、その時はそう感じてしまいました。

そこから私は逃げるようになりました。障害そのものが逃げであると言われたらそれまでなのですが、私はここで自覚しながら逃げるようになりました。

数学で苦手な考察が出てきた。「あぁ、線に任せよう」

苦手な人が出てきた。「あぁ、髭に任せよう」

どうしても行き詰まった。「梟に任せよう」

死にたくなった。「誰かがなんとかしてくれるだろう」

そのようにして、私は逃げにきょうだい(別人格)を使うようになりました。

4月のある日、決心をして、私は主人格の座から退きました。後任は髭です。そのときからも私は逃げ続けて、月に一度顔を出すか出さないかになりました。

時は6月。もう何ヶ月も見ていないきょうだいの連絡帳に、ふと目を入れると、衝撃の言葉が載っていました。

「2021年春には九州に引っ越すかもしれない 準備しといて 髭」

動いてしまいました。髭と恋人さんは、もうそこまで行っていたのでした。九州は、髭の恋人さんの居住地です。

ずるずると引きずられている、そう感じました。でも、抵抗しないと4月に宣言してしまった以上、私からは何もいうことはできません。

 

私は決めなくてはならないようです。今まで逃げ続けてきていた人生に対するツケを、支払うときが来たのです。

髭たちは「子供を育てるにはどうするか」まで話しているらしいことまでは、推測しています。

逃げ続けたら、いつの間にか私と、申し訳ないながらもよく知らない女性との間に子供が生まれている、なんてことになりかねない。

それは防がなければならない、そう感じています。

でもそれは髭の人生だから、邪魔するわけにはいかない。だから、私が私なりの自覚を持って、私の中でどう折り合いをつけていくかを、模索しなければならない。

自覚を持つことと、言葉にすることは、私の中では同一だと思っています。

だから、このブログに書くことにした。

 

新天地の九州で、どんな人生が繰り広げられるか、今の私にはわかりません。でもこのまま、逃げ続けたら、一緒に暮らすことになるだろう髭の彼女さんに迷惑がかかります。

ですから、精一杯迷惑をかけないように。

今の私にできることは何か、これから何をしていけばいいか、考えていかなければなりません。

 

人生のツケを支払うときが、やってきたのです。

自覚を持って、これからの日々を過ごしていきたいと思う次第です。