ちょくげノート

日々のことを綴ろうと思っています。はてなダイアリーが終了してしまったのではてなブログに全記事移行しました。

「お天道様は見ているぞ」

髭のアカウントのフォロワーと過去の話に華が咲いたのでブログにも書き記していきたい。

髭と私の関係について。

そもそも私だけに限って言えば、このDIDの発生機序は「願望」と「欲求」と「空想」であったとされている。そのような仕組みで生まれたと力強く説明されたからして、彼が生まれたのも、このような感情が由来していたからに違いないと考えるのだ。

髭は社交性が我々の中では最も高い。少なくとも私はそう認識している。そんな彼は、彼の恋人曰く「所属欲求が非常に高い」のだという。加えて彼の友人によれば「きょうだいからの期待に応えるべく自分にもそういうプレッシャーを与えている」とのこと。また、別の友人からは「主人格という責任に耐えられているようには見えない」としている。

そんな彼の存在は、少なくとも記憶に残っている限りのものでは幼稚園年中のころまで遡るように感じる。殴る蹴るの暴行を受けていた私を庇うように躍り出ては、彼がその周囲の暴行者の一人に反撃に出る。そういう景色が朧げながらに残っている。確実な記憶なのか、それとも私か誰かによって捏造された意識なのかは判別つかない。ただ、そういう景色が残っているのを認めるのである。髭は、そういう子だった。

今の髭は、社交性が豊かで、色んな人と関わりを持っては意見を交わす。そういうきょうだいに見えている。私には。ここでは記述しないある事件をきっかけに私が髭のアカウントに代替わりしてみて、人望が思ったより厚くなかった、ということに衝撃を受けては、私はこの景色が単なる願望に過ぎなかったのか、と自分を疑ってしまう。し、心の底では髭を頼りにしていたことに気付かされる。軽口を叩いたり、彼の悪いところを他人に愚痴ったりしていた心の奥底では、おそらく、髭に対して、甘えがあったのだと思っている。

髭との記憶の最古の時点で、髭が私から分出したのだとすれば、その頃の私、幼稚園時代の願望と言えば、二言で言えば「友達が欲しい」「遊び相手が欲しい」だったのだろうと推測がつく。髭は、それを、私が知らないうちに叶えてくれたきょうだいなのだと知る。

実際にそういう願望を持っていたのかは確証が持てない。自分で書いておいてまるでおかしな話だが、その当時の記憶や、景色や、感じたこと、思ったことを、まるで誰かに盗まれたかのように、自分のでなくなってしまっているのである。ただ、カタヌキで残されたガムの切れ端のように、核ではない部分の周辺情報は、残っている。跡形もなく消え去ってしまったわけではないことだけはわかる。カタヌキの切れ端を集めて、それで初めて「誰かが持っていった」事が分かったのである。

言葉ではこのように書いていても、実際は忘れているという一言で片付いてしまうのかもしれないし、超常的な何かが働いていたのだとしても、矛盾はないし、誰にも証明はできない。「誰かに奪われた」と表現するしか私には手段がないし、実質それが一番妥当そうに見えるのである。

髭は、思い返せば、私と遊んでくれたような記憶がある。一人っ子だから、マリオパーティも一人で遊んでいた。親にねだってコントローラを買ってもらって、何に使うんだと呆れられながらも、実際に髭と遊んでいた。確かに髭は、本当に、そこにいた。当時は髭なんて名前でも「聡明な少女の彼氏」なんて長ったらしい名前でもなかった気がする。この記憶は思い出せないし、なんなら、日本語で会話もしていなかった気がする。日本語名でないきょうだい。

髭は「私と遊んで欲しい誰か」という願望を叶えるために私が私に成り代わって生まれた私なのである。だから社交性が強くあってほしい、と、私たちきょうだいみんなから、そう願われているように見える。斯く在れかしと、想いと願いと祈りが、強く込められている。今ではそう見えているし、そう説明されたとして、矛盾はないようにも感じてしまう。

私たちは(線や狐、梟など、また、髭本人もそう思っているかどうかは全く断言ができないが)髭が社交性に優れ、他人との関わりを取り持ってくれる、頼り甲斐のある兄貴分だと思っている。または、そう思っていることにしたいのかもしれない。

私の、理想の友達。理想のきょうだい。

ところが、他者により「髭は社交性が君たちの平均から突出して高いわけではない」と指摘を受けてしまった。髭は今は寝込んでいてよかったと胸を撫で下ろす。……なぜ?なぜ髭が聞いていなくてよかったと胸を撫で下ろした?なぜ髭がこの事象を見聞きして落ち込むと勝手に思い込んだ?

 

違うだろう?

 

本当に落ち込んでいるのは、紛れもない、『私自身』じゃないのか?

斯く在れかしと願い祈りを込めた、私自身が生み出した私自身を、低く評価されることを厭うたからではないか?

そう説明されて、矛盾はないのではないか?

ヒヤリと背中に冷たいものが走った。もし私のDID症状が願望、欲求、空想から来ているのだとすれば、この願望を生み出したのは、少なくとも私の目線からすれば、私自身に他ならないからだ。髭でも毛でもない。この私だ。私が、そう、評価されることを、厭うたのだ。

しかしながら、こう説明されても矛盾は起きないのに、自身の経験や記憶、実体験を嘘偽りなく述べると、確かに異なった同一性の存在を認めなければならないし、加えて私毛の声でない声が、私毛でない意思の存在が、確かにあるのである。目には見えないかもしれないが、眼鏡をかけたゴツい兄ちゃんが私の隣にいるのである。線なら、すらっと背の高いお姉さん。狐なら、黒い服を着て、裸眼の、少し気が弱い女の子。きょうだいの特徴は、少なくとも私はすらっと27人分いえる。だって見えているから。いるから。存在してしまっているから。否定できないから。証明も反証もできないけれど、でも、疑って疑って拒否して拒否してもなお、確かにそこに居てしまっている。認めたくないと我儘を言っても、現実、少なくとも私たちの世界における、この空間には、確かに27人分の魂が存在している。

私は自分目線では生きるのもやっとな過酷ないじめを幼小中と合計11年間肉体一つで耐えざるを得なかった。DIDの一般的な発生機序に従えば、幼少期から思春期初期の人格形成ないしは成長過程における重要な期間を台無しにされ、さまざまな見地の統合に失敗をし、矛盾を抱え、脳に障害を抱き、そうしてDIDに至ったのであると説明がなされる。

そうなのだろう、と納得するしかできない。反論しても、医師に勝る説明が私にはできないし、当然他の大多数の素人にも難しいかもしれない。でも、説明はこれでいいのかもしれないと諦めのような、耳を塞ぎたくなるような、そういう気持ちがある。誰がどんなに丁寧に説明しようが、残念ながらというべきか幸いにもというべきか、きょうだいは消えないのである。DIDとは、そういう病である。

 

ここからは、私の恨言になる。過去に私を足蹴にし、ゴム毬以下の待遇で処してきた、悪辣外道なると私は評価する、そういう連中に対する恨言である。かなり偏重な意見と見られるので、以下は読まなくてもよい。

……と書いたはいいが、まるで牙を抜かれたように、恨言の輪郭だけが残って、肝心の中身が、前段落を書いてから30分を経過しても、まるで浮かんでこない。

確かに蹴られた。確かに物を盗まれた。確かに濡れ衣を着せられ辱めを受けた。確かに体に悪いものを飲まされた。確かに死んでしまうところだった。そういう周辺情報の状況証拠的な事象は想起するものの、肝心の、その中核が、誰かに盗まれて消えている。

何があったのか、全く思い出せない。思い出せないというか、周辺情報だけを残して、全てなかったことになっている。

絵のない額縁のように、そこに絵があったということだけを物語っていて、肝心の絵がない。私の苦しみを、私が代替わりしているのだろう。事実としてはそうだが、でも私は感じていない。感じる事ができない。思い出そうと時系列順に整理しようとしても、何かが介入して、私のアクセスを禁じている。

自己憐憫と見られても仕方がない言説を開陳している自覚はある。とはいえ、これは私の感じた(?)事なのだから、仕方がない。

 

ただ一つだけ言えるのは、お天道様は見ていても、助けてはくれないという事である。